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金配りおじさんへの嫌悪感の正体

タダでお金をあげるという行為に不思議と嫌悪感があって、それが何故なのか気になっていた。Twitterでも意見を色々と貰い、考えてきたのだけれど、「タダで貰えるのに何故貰うとしない」という人たちを納得させるだけの理由がなかった。労働価値とか貨幣論などのアプローチからも検討してみたが、どうももっと嫌悪感は根の部分にある気がしていたが、自分の中では答えが出たように思う。

仏教における因果の関係によるものではないだろうか。更に具体的に言えば、おじさんをフォローするという原因と、それによってお金が貰えるという結果の結びつきが不自然だということだ。通常、働くという原因とお金が貰えるという結果は結びつきやすい。余談だが以前国から配られた給付金にしても元は税金なのだから、お金を貰ったというより、払い戻されたと言った方が良い。

この嫌悪感は仏教圏のみの考えなのかと言われるとそうではないと考えている。キリスト教圏でも決定論という、因果論とは異なった考えを持っている。これはお金を貰うという欲のある行為を何かしらの勤勉(より良い仕事など)を行ったことで正当化するというもので、仏教の因果論と順序は違うものの、お金を貰うという行為にそれなりの理由付けを行っていることになる。

どうやら僕の嫌悪感の正体は、暮らしの中に浸透している宗教観、価値観であり、それは仏教の因果論と強く結びついているようだ。またそれは日本に限ったことではなさそうだということが分かった。何事もそうなのだけれども、提供するものに対して頂くものが多すぎるとき、自分では気づかない何か重要なものを相手に支払っていると思っておこう。


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