リモコンを自動化したけど、幸せは感じなかった
Nature Remo を声で操作
今年の初め頃、スマートリモコンを買った。
最近CMもやってる、Nature Remo。あらゆるリモコンを登録して、ひとまとめにできる便利グッズ。今年の買い物で一番良かったものだ。
ぶっちゃけ、これ単体ではそんなに便利ではない。これが真価を発揮するのは、スマートスピーカーと組み合わせたときだ。家に Amazon Echo(アレクサ)があったので、アレクサ経由で Remo を声操作できるようにした。
いまでは、「アレクサ、ただいま」と言えばリビングの電気とテレビがつき、「アレクサ、寝る準備」といえば消える。
もっと自動化したけど、元に戻した
声で電気とテレビがつくの、めっちゃ楽。めっちゃ気持ちいい。一度この快感を手に入れてしまったら、もう手放せない。
さて、ここまで来ると、もっと自動化したくなる。家に帰ってきたら自動的に電気とテレビがついてほしいな、と。
ということで、家にあった Raspberry Pi と Remo を連携。人感センサで僕の帰宅を検知して、自動的に電気とテレビがつくようにした。
自動化には成功した。が、1週間ほどでやめ、元の声操作に戻した。
自動でつくのは、確かに便利だった。けど、声操作していたときのような気持ちよさは、なかった。
声操作の気持ちよさとは?
その理由を自分なりに考えてみたところ、次のような結論に。
Remoを声で操作するときに得られる気持ちよさは、僕と機器とのインタラクションから起こる。
「アレクサ、ただいま」と言えば、「はい」という返事とともに電気とテレビがつく。それはあたかも、アレクサが僕の呼びかけに反応して、僕を迎え入れてくれているような体験である。
時にアレクサは音声認識に失敗する。電気をつけずに、「こんな説明が見つかりました」などと訳の分からない返事をしてくる。けど、そんな失敗すらも笑って許せてしまう。うちの彼女も「ちょっとアレクサー!?」と、笑いながら怒ってる。
全自動にしてしまった場合、このような体験は起こらない。まるで監視されているかのように、一方的に電気やテレビがつけられる。
果たして、声操作と全自動、どちらが幸せだろうか?
効率だけを追求するなら、全自動が良い。それでも僕は、声操作を選ぶ。そのほうが人間らしくあることができる、そんな気がする。
この記事が参加している募集
読んでいただきありがとうございます! サポートいただければ、甘いもの食べて更にやる気だします。