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こどもとヨアソビ。

親は子に子は親に。
何をもとめるのだろうか。

子供が成長すると大人同士の関係で、
お互いが独立した同志として尊重しあう。
そうじゃない場合もあるけど。

最近よく思い出す母の言葉に、

自分の子供(4人)
でも合う合わないと思う時がある。
母のことばより

人生、色んな人と出会い、良くも悪くも
色んなことを経験し、その原体験が人を作る。
その日見えているその人が全てとは限らない。
親が知ってる子だけが子の全てでもない。

親子や人の関係性について少し考えてみたことを
綴りたいと思います。

子供と夜遊び

夜の公園

私は子供を産むのがとても不安だった。
世間から置いていかれはしないか、
なぜ一時期でも仕事を諦めないと行けないのか。

そんな思いから早めに仕事復帰。

でも、フル出社、育児は女性中心、
時短制度を取ると出来ないことが多い。
そんな時代でした。

世間からは、子供を0歳から預けてかわいそう。
幼い頃の子供との触れ合う時間が大事など、
自分にとってマイナスな言葉ばかりが
耳に入ってきて、会社のパーパスより、
私は何のために働くのか?を自問自答していた頃。

いったい何が正解かわからない中、
私が選んだ道はやりたいことは精一杯やり、
子育ての"質"にこだわろうだった。

まあ質といういい言葉を使いながら、
とことんサボり方を考えただけですが。

ご飯は買ってきてもいい。でも一緒に食べよう🍙
冷凍食品でもいいからお弁当を作ろう。
たまに夜遊び(夜の公園)に行こう。
なんて感じ。

そしてこの考えに賛成してくれたのは
専業主婦だった母でもある。

私の子ども時代

とにかく私の子ども時代は勉強をしなかったし
しろと言われた記憶もない。
母の持論は美味しいものをお腹いっぱい
食べればグレないだ。たしかにグレてはいない。

勉強しなくていい時間を使って
たくさん、部活をして
たくさん、友達の家で遊んで
たくさん、外で遊び
たくさん、映画をみて
たくさん、美味しいものをたべた。

怒られることを通じて大人になった。
学校のガラスを割って1ヶ月ガラス掃除をした。
部活をサボり野球を見に行ってグランド
20周くらい走らされた。行ってない人も。
規則を破り、さらに学校全体の規則が厳しくなった。

勉強が何の役に立つか分かっていなかった。

そんな子ども時代。

子育てのアンコンシャスバイアス

小学3年生になると、
みんな塾に行き始める昨今とても不安になる。
その不安は、残業帰りに塾帰りの子供と出会う時。
もう片面は、塾に行ってない我が子は大丈夫かなという不安。

そう。塾に行かせたいのは親なのかも。
今の私自身の不安が物語っている。
いい学校、いい就職。それもわかる。

親のサポートや選択肢を与えることはとても
大事。でも価値観の強要はしないように
心がけている。

5年生になったわが子は、塾に行く代わりに、
新たに、
某新聞社の新聞記者になった。
英語の歌を習いに行き始めた。

文章を書いて、たくさんの人に発信していくこと、歌うことを勉強よりもやりたいというのだから。
その思いを支えたい。ドキドキしながら。

子どもの価値観を受け入れるには
親もアップデートしなければいけない。
ただいまアップデート中です。

親と子

私たちが生きてきた時代とは全く違う
子ども時代を生きてるα世代。

昨年に、続き母の日(早め)にもらった本が
これです👇(上2冊が今年。下が昨年)
日々学ばされてます。

母の日のプレゼント
3年生のワークショップにて


環境やジェンダーには興味があるみたい。

わたしも多くのLGBTQ当事者と知り合いである
こともあり小さい頃から性別は、男女だけではないことは話していた。いまではあたりまえになっている。

そう生きてきた時代が全く違うのだから
価値観の違いは当たり前。
親子だからって親の考えを押し付けてはいけない。逆に親だからこうすべきもない。

だから思った。
子どもからたくさん教えてもらおうと。

人と比べない

基準や普通という言葉があると
どうしても人と比べ、
その中でこうあるべき論が出てしまう。

最近読んだ記事で
言っていた言葉がとても印象的だ。

アンコンシャスバイアスは人生をかけて学んでいくもの。

多分いつまでたってもアンコンシャスバイアスや、
生物学的な違和感はある。
これらを完全になくすことが目的ではない。
これらを知り、受け入れることが大事なんだと思う。そしてその考えは理解しても実践がものすごく難しい。

目下、
子どもからの質問にちゃんと答えられるというの
が私にとって1番大事な目標です。

最後に最近の子供からの質問です。

ママ。顔がつぶれている人がいて、見ないようにしちゃった。でも何かしてあげた方が良いのか、
見ないのが正解なしいのかわからなかった。

きれいごとではすまない。子どもの質問。
わたしにも正解は分からない。
だから一緒に考えることが大事なのだ。おしまい。

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