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今までの人生とパワハラ

私は前職でパワハラを受けた。
どんな感じであったか、どのように行動をしたか語っていこうと思う。
自分の人生の経歴を残すのも悪くないと思うので。

事前の話

事前に話しておかないといけないことがある。
私の左耳は難聴であり、これが小学校1年生ぐらいから今までずっと続いている。
人生において多少聞きづらさを感じることはあるが、聴こえないことは素直に聞き返すようにしている。
後々気付いたことであるが、「聞こえていないのに空返事や愛想笑いをしてしまう」という癖は確かに存在した。
相手が話していることを聞き逃していること自体分からないこともあり、
相手からすると「ここさっき言ったよね?」といったやりとりが発生した。
こちらについては事前に説明をして、理解を得ておく必要もあったのかと思う。自分の落ち度である。
「左耳が聴こえないから、左から話しても聴こえないことがあります」とだけ伝えていた。
それで相手に聞き返しを何度も行い、ストレスを与えていたことは否めない。

1社目の話

最初の会社で、プログラムが左右も分からない自分にプログラムを教えていただいた優しい先輩がいた。
仕事ができ、とても尊敬していた。
プログラムを覚えるため、残業、休日でも積極的に出勤し、先輩にその会社のルーキーとして評価してもらった。
だが、その会社に入社して3年経過したところで倒産してしまったのである。
倒産した会社のお客様から「ウチへ来ないか?」と有難い話をいただいたが、
それでは自分が成長できないと感じその話を断った。
そこからその先輩とは3年会わなくなった。

2社目の話

次の会社の話になるが、面談時に社長と喧嘩になったが、
その噛みつき具合を評価してもらい、2社目の会社へ入社することとなった。
その会社は正社員を派遣として外に出して収益を得るタイプの会社で、
常駐先に気に入ってもらうため、かなりの努力が求められた。
深夜残が何回も重なるような過酷な業務が多かった。
これは自身のせいであるが、日報、週報、月報の提出が疲労により遅れてしまい、
数回その時のリーダーに怒られ、始末書まで書くことになった。
ここで言い訳しておくと、各種報告書は項目が多く、工数から所感、反省点、改善点までみっちり書かされる。
その書いた内容についてリーダーより突っ込みが入るので本当に心が滅入った。
そして客先に常駐できない、もしくは利益が目標に届いていない社員に厳しい会社で、
休みの日まで呼び出され、社長から叱咤されるのである。
何が原因か分からないことを呼び出されて怒られる毎日を過ごす中で、
こんな人生でいいのかと思い、精神的な疲労が多く、退職を決意した。
退職の意思を伝えてからが長かった…
総務の人と公園へ移動して「辞められると本当に困る」「これからも一緒にやっていきたい」と
3回ぐらい話をされたり、社長からも個室で何度も面談した。
徹頭徹尾、退職することを伝え続けたのでやっと会社を辞めることができたのである。
それでも辞めてからは、次の会社が見つかるまではアルバイトのような感じで簡単な作業だけは対応した。
しばらく自由な時間もなく、お金だけが貯まっていったため、ここで一旦遊ぶことにした。
3社目にいくのはここから1年先の話となる。

遊んでいた時期

この遊んでいる期間、アルバイトをしながら良い会社がないと嘆きながら、彼女を作って自堕落な人生を歩んでいたと思う。
そんな彼女から「遊んでばかりの人は嫌だ」と言われたので、真剣に次の務め先を探す決心をする。
結局受けたくなる会社がない時に、1社目の憧れの先輩に偶然出会う。
お互い連絡先を交換していたので、久しぶりに連絡を取り合うようになり、
先輩から「俺の働いている会社で一緒にやらないか?かなり自由で楽しいぞ」と誘ってもらえた。
また一緒に働けることが嬉しくてもちろんOKした。むしろ是非お願いしますと先輩へ伝えた。
その会社の最終面談の前日、彼女から別れを告げられた。
「多分入社できるし、良い会社だよ?」と伝えたが、既に冷めてしまっていたらしい。
心が死んでいたのか、その時は悲しく感じなかった。っとどうでもいい内容を書いてしまった…
最終面談で社長と1対1の時、「君は、彼女とかいるの?」と聞かれたので、
「昨日別れたばっかりです!」と伝えたら、「そ、そうか…まぁ、人生のパートナーは星の数ほどいるよ」と
今でも心に残っているアドバイスをもらい、その日から働くことになりました。

3社目の話

ここからが私にとってつらい時期となる。
数年そこで働き、相も変わらず残業が正しいと思いながら働いていた。
ちなみにここだけの話、残業をしても10%程しか給料に反映されなかった。
そして私は人生のパートナーをみつけ、子どもが生まれた。
子どものことを妻に任せきりにしていて、妻から「そんなに働いているのはおかしい」と言われた。
確かに、その時には働き化改革も進んでおり、時代錯誤な働きをしていたように思う。
そこからである、自身の考えが変わっていった。
新型コロナが流行り出した頃、社長の意向で在宅勤務が可能となり、
私の中ではかなり働きやすくなった。家庭と仕事の両立である。
そのあたりで後輩が部署に入ってきた。
その後輩は先輩の性格を引継ぎ、残業マンになっていた。
早く仕事を切り上げる私と、業務をこなしていく後輩で差が開いていった。
先輩は課長、部長、統括部長と役職がどんどん上がり、次第に性格が変わっていった。
「こんなこともできないやつはクビだな」「これならサルでもできる」といった暴言が増えていき、
できないことには机を叩いて大声でキレる。
そして会議の中で私と後輩を目の前で必要のないことで怒るのである。
私は驚いた。あんなに優しかった先輩が、こんなにパワハラをするようになったのである。
そんなことがたくさんあっても、周りの人たちは全く言い返しや注意をしないのである。
我慢の限界にきた私は、その先輩の上の人へ相談し、事実内容を確認してもらったうえで叱ってもらった。
しかし、そこから遠回しな嫌がらせが始まる。
私がプログラムでミスをして、そのミスで他部署へ迷惑をかけることから、
何をするにも後輩のチェックを通すことになった。
更に業務が徐々に後輩へ自然に流れていき、プライドがズタズタとなった。
その頃、社長が亡くなり、その息子が新しい社長となった。
そして在宅勤務が禁止となったのである。
後輩に下から見られ「難聴だから、こちらが話した記憶が欠損している」とかそんな話まで始めたのだ。
前回会議中にパワハラを行い怒られたあと、初めて先輩と電話することになった。
そこで「そういえばこの前の話、もっと別の言い方にするね」と言い出したのだ。
そうじゃない、人前で怒ること自体が良くないのである。
普段全くキレない私だが、この時はストレスが限界でブチギレた。
「そうじゃありません!人前で怒ることが良くないのです!怒られた方はプライドが傷つくんです!」と伝えた。
「わかった…謝ります。ごめんなさい」と言われたが、言い方が明らかに「はい、謝りましたけど?」感が溢れていた。
その後も平気で同僚の前で怒る。もう憧れていた先輩はそこにはいないと思った。
経営方針、人間関係、他部署でのパワハラ等が理由により、退職を決意した。
自分にも落ち度がないわけではないが、本当に悲しくなった。
認められていく後輩への嫉妬、パワハラが目の前で起こっても注意しない先輩方。もううんざりだった。
会社自体は引継ぎもしっかり行い、予定通り辞めることができた。※今度は辞める前に就職先をしっかりと探しました笑
辞めたあと、久しぶりにその会社の人から情報を聞いたが、後輩から私への悪口がひどかった。
「引継ぎが十分ではなかった」「前の人の悪の遺産です」など散々な言いようである。
引継ぎには後輩にも入ってもらっていたし、確認時間もあったのに確認をしていなかったのは向こうである。
しかも分からないことがあれば連絡しても良いと伝えていたのに一度もなかった。
役員の人たちからは、私が難聴により業務ができなくなったことになっていた。
では、今順調に働いている私は何なんだ…
こんな人間性の人たちから離れられて本当に良かったと思う。

自分の考え、伝えたいこと

今は4社目の会社で元気よくやっている。
上記のこともあり、以下のことが大事であると気付いた。
・家族を一番に大事にする
・残業は当たり前ではない
・人を褒めることは大事
・人間関係を深めすぎるのはよくない
・人間関係が嫌いになった
・精神的な辛さがある場合は、プライドを捨ててでも逃げることが大事

そして世の中の役職がついている人たちに伝えたいし、
いつか私が役職者になった場合は本当に気を付けたい。
・人前で怒らない
・頑張れと言いながら肩を叩いたりしない
・意味のない長時間な説教はしない
・時間を多く費やして働いている人と、家庭などがあり時間を費やせない人を正当に評価してほしい
・人の陰口を言わない
・暴言を言わない
・あまりに何回も同じことを聞かれた場合は注意するが、極力「前にも言ったけど」は言わない
・話を聞いている時に「俺なんか休みないけど?」「俺なんかもっと酷いよ?」みたいな自慢や嫌味話で上書きしない

私が間違っている部分やそれは違うと思われることもあると思うが、常に前進していきたい。
先輩も役職がついたことにより、部のために厳しくせざるを得ない部分もあったし、責任感もあったと思う。
それでも、パワハラはよくないとみんなに伝えたい。

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