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2022→2023

賀正。

去年はこんなニートのくだらない話に付き合ってくれてありがとうございました。更新頻度はまちまちだし内容も決して明るいものが多いわけではないですが、それでも読んでくださる方がいることをとても嬉しく思います。
今年も適当に力を抜いて生きていきますので、何卒。


2022年の総括でもしようかと頭の中を整理していたのだけれど、列挙するほどのイベントは何もなく、どの記憶を突きまわしてもニートがうごうごしているだけだった。『2022年面白かった本ランキング』でもやればよかったかもしれない。

本当にただいたずらに時間を浪費して物思いに耽った一年だった。哲学書を読んで救われたり落ち込んだりを繰り返し、周囲の人との距離の取り方に悩んだり、心身の居場所の確保に苦心していた。まとめてしまえば、「善く生きる」にはどうすればいいのか、という普通なら人生の後半で考えるような事をずっと考えていた。答えらしい答えは未だ出ておらず、今この瞬間も頭の中ではああでもないこうでもないと考えをこねくり回している。

実生活では何一つ成し得ていないので私のこれまでの苦悩は、暫定的ではあるが徒労に終わっている。ではそれらがすべて無駄だったかと問われると、私はそうではないと答えるだろう。これは私からしてもルサンチマンじみた理論だと思うのだけれど、弱者としての私が立たされているこの苦境や痛みは私にしか知り得ないもので、そこに何かしらの価値のある意味がいつか発生するように感じるのだ。そしてそれは億万長者だろうがノーベル賞受賞者だろうがローマ法王だろうが知ることのできないものだ。そう思い込むことで、私は過去をむやみに蔑まないでいられる。

時間の他には友人やお金も多少なり失った。主に付き合いの場に参加できなかったり、無職であることを説明しなければならない面倒くささが友人からの誘いを上回ってしまったことに起因する。これに関しては完全に私の責任で、弁解の余地もない。それでも私の性格や状況を知ってくれている友人だけが残ったので、それはそれでよかったかもしれない。お金に関してはシンプルに生活費という形で消えていった。一昨年は住民税や保険料や引っ越しの失敗で貯金がゴリゴリ削られていったので、それに比べたら随分マシである。収入と物欲が減っていくほどに生活が縮小していくのは良い発見だった。やり方次第ではもっと小さく出来そうな気がする。とりあえず、この一年でまた資本主義社会に対するスタンスを調整できた。

こうして考えてみると失くしたものというよりも減らしたもの、という視点の方が正しいように思える。少なくとも物質的な充足は魂の干満とはあまり関係が無いことを理解し、人生の長短において意味を持つのは命の使い方だということを知り、いくら近しい存在でも結局は共にした時間が多いだけの利己的な他者であることを思い知った。知識としてだけではなく、この身をもっての体験としてしっかり刻み込めたのは私にとって善いことであると思う。

今月で「働ていない」期間は丸二年になる。二年間も無意味な労働から逃げ延びたことに不思議な達成感を覚える。普通の人は社会から離れていく恐ろしさに耐え切れず、短い期間の内に再び労働の世界に戻っていってしまうのだという。そういう人は社会に依存している、ということになるのだろうか。だとしたら私は内向的なタイプであることに感謝しなければならない。社会の中に居なくても正直どうでもいい。それよりも考え事をしたり、毎日お日様の下を散歩したり、小さな読書灯を頼りに本を読んでいる方が、ずっと楽しいし幸せだ。

欲を言えば、似た価値観を持つ仲間と火を囲んでゆっくり話したりなんかできたら最高だ。

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