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21世紀は不老長寿型社会 ~必死に生きよう

日本の昔は、農業が主役で、人手が必要でした。しかし、まだ、皆、貧しく「貧乏子だくさん」とか言われ、子供の労働力を当てにして、たくさんの子供がいる家庭が普通でした。戦争中まで、「産めよ増やせよ」というのが国家戦略でもあり、10人兄弟とかいう家庭も珍しいものではありませんでした。戦後は、二人が標準となっていきます。

その後、女性の高学歴に伴い、晩婚化してきて、平均の子供数は、2を割り1ちょっとになってきています。女性の高学歴化に伴う、晩婚化や裕福な家庭ほど、子供の数は少なくなっている(教育費の問題から)のも世界的な現象です。

最近の日本の調査では、そもそも結婚したくない男女が増えてきているそうです。調査では、特に男性の「草食化」が深刻になってきたとあります。これは、動物としての本質の問題に関わります。そもそも生物は種の保存というDNAが組み込まれているはずですなのに。

最近、昼食時に同僚とその話題を話していたら、「あまり裕福になると、種が途絶えていくのかもしれませんね」と言う意見もでました。

私の友人に、「何歳くらいまで生きたいか」と質問すると、皆、「そんなに永く生きたくない。70歳くらいで死にたい。」と言います。平均寿命が80歳を超えている事実を知っているのにも関わらすにです。小学生に聞くと多分「ずっと生きたい」と言うと思います。この差は何なのでしょうか。

昔は、自然と普通に肉体的にも、感覚的にも老化して、今までは、皆死んでいったのでしょうが。今は、好むと好まざるとに関わらず、医学が飛躍的に進歩して、人間は、そんなに簡単には死ねないようになってきたと思います。100歳くらいまで生きると思います。

こういう事を総合的に考えると、本来、人間が持っている「生」の本能と「環境の変化」にズレが生じているような気がします。つまり、子供の数の件は、本能が環境に影響されて、本来の本能が歪んできた。死に関することは、本能通りには、環境がさせてくれなくなったということでしょうか。

今までは、この環境変化が、凄くゆっくり起こっていたので、水中で生きていた我々の祖先は、陸で生きれるようになったわけで、環境変化と共に進化(退化?)してきたわけです。しかし、今の急激な変化は、対応してしまう所と対応できない所が出てきていて、今までの論理でいくと非常に変な対応の仕方をしているのかなと思います。

984年にグリーンランドに入植したノルウェー人五千人が数百年かけて滅亡したそうです。 北欧式しか受け付けず、環境に適応できたイヌイット人のやり方を学ぼうとしなかったので、変化する環境に対応できず滅亡したのだそうです。

時々、「老いに抵抗せず、自然体で生きていきなさい」という著名人の意見を聞きますが、少し反論したいのは、その「自然体」というのは、昔の「自然体」ではなかろうかということです。

今の環境下ではそれは、自然じゃありません。今の環境に合わせるなら、歳とっても「筋トレ」しないと、医学が進歩した現代では、ただの「寝たきり」になってしまいますよと思います。

人間本来の「本能」のまま生きるのであれば、死ぬまで「必死」に生きるのが自然なのではないのかなと思います。

必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ ー織田信長

この度、この話をまとめた本を出版しました。是非ご一読くださいませ。

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