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ゲーマーがよく使う「チンパン」って表現、絶対使いたくないし嫌いだ

対戦ゲームにおいて何も考えず突撃特攻したり、戦略もなく思考停止でパワープレイを押しつけたりするプレイヤーのことは「チンパン」と呼ばれ、そうしたプレイは「チンパンプレイ」と呼ばれている。

文字どおり「チンパンジー」を語源とし、チンパンジーが人間よりも知能の劣るイメージから、プレイヤーの上記のような言動を揶揄するために作られた(のだと思う)。

生物の特徴を借りてきて人間の言動や価値観にあてはめる表現方法は太古の昔から使用されていて、カメといえばのろまだし、イヌといえば盲従、ハイエナといえば狡猾さを表す。チョウは優雅さ、ヒョウは艶めかしさ、ネコは好奇心の旺盛さを表現するときに使われる。英語でも、例えばdodo(ドードー)には間抜け、ostrich(ダチョウ)には現実逃避する人という意味があるようだ。

ぱっと思いつくのはネガティブなものが多いが、たとえポジティブなものであろうと、僕はこういうふうに盲従だとか優雅さだとかいう人間の価値観を表現するために生物の名称を使うのが嫌いだ。

なぜって、生物のそうした特徴は人間が一方的に押しつけている価値観にすぎないからだ。カメは別に自分のことをのろまだとは思っていないし、進化の観点からも現生のカメがのろまであるとは言えない(実際、体長10cmくらいのリクガメでも人間が歩くより速く走れるし、脅威を目の前にしたときに首を引っ込める速度はとても速い)。

科学の世界では、価値観を伴う言葉は非常に繊細に扱われる。価値観を伴う言葉を使うと理解や解釈に偏見が生じるからだ。科学者はカメをのろまだと表現しないしそう考えてすらおらず、たとえ人間からそのように見えたとしても「移動速度が遅い」といった事実のみを端的に表す(価値観を伴う言葉で表現する場合は多々あるが、科学的事実としての記載は絶対にしない)。

できるだけ価値観を伴わない言葉で生物について記述し語ることは、僕が考えるに、人間が自分たち以外の生物に対して払える最大限の敬意だ。ゆえに、生物の名称に人間の価値観をあてはめるのも生物に対して敬意を欠く行為だと言える。

かつては科学の世界でも価値観を伴う言葉が当たり前に使われていたが、より正確に自然現象を解明するために事実をありのまま記載する方針になり、多大な努力をもって人間の価値観=偏見を排してきた。科学者のその真摯な営為に、僕は心から畏敬の念を感じる。

「チンパン」に話を戻そう。僕から見て聡明で理性的な人であってもこの言葉を平然と使っていることが多く、上述のような価値観はあまり共感されなさそうな気はする。当然、他人に「チンパン」を使うなとは言わないし、使ってはいけないとも思わない。使いたい人が自由に使えばいい。僕は使わないし嫌いだというだけだ(単純に「無思考」とでも言えばいいのではないか?)。

チンパンジーが人間のように振る舞えないからって知能が劣るわけではなく、彼らは彼らの環境で(人間と同じく)あるがままに生きている。その姿に感銘は受けこそすれ、人間から見たら非合理的で無思慮な行動だとしても、人間の価値観にもとづいてチンパンジーの知能が劣っているなんてとても言いがたい(人間の言動も数学的合理性から見ればひどく不合理だ)。

おそらく、もはや語源となった生物から離れて使われている表現もあるだろう。「犬猿の仲」なんて、わざわざイヌとサルのことを想像して使っている人はたぶんいない。「チンパン」にしてもそうなのだろうか?

だとしても、僕はなるべくこの教義を貫こうといつも気をつけている。察しのとおり、簡単ではない。生物の名称は日常語にありふれているからだ。「チンパン」がダメなら「馬鹿」もダメなのか? いや、「馬鹿」は単なる当て字だから大丈夫?

では、「鶴の一声」や「猫撫で声」は? いずれもツルとネコの実際の特徴から取られているが、前者は価値観が伴っていないからOKで、後者は価値観が伴っているからNGなのか? 「ネコのように素早く動く」はどっち? 「クジャクのように美しい」は?

こうした生物の名称を含む表現について、言葉の語源や生物の性質をいちいち調べて使い分けるのは困難に満ちている。それでも、至らないときはあるかもしれないが、僕は生物の名称を含む言葉を使いそうになったときはできるだけ徹底して自分の教義に照らし合わせてOKかNGかを判断しているつもりだ(極力避けるに限る)。

ほかの誰か、この記事を読んでくれた人にも、僕の教義というかこだわりを強制する気はまったくない。ただ聞いてほしかっただけだ。でも、自分が普段当たり前に使っている言葉について考えてみる機会や違和感を持つきっかけになったら、ちょっと嬉しい。

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