貧困や引きこもりから一発逆転できないなら、eSportsに価値なんかない
今回はぷらてさんとのトークから拾い上げたネタだが、ぷらてさんはeSportsの最大の価値の一つを「貧困や引きこもりから脱出できること」だと主張した。それは僕も同意する。例えばプロスポーツや音楽にしても、クソな人生を好転させることが大きなモチベーションになっているプレイヤーが多くいる。
海外のeSportsシーンでは、これはある程度実現されている。翻って、日本ではどうか? 日本のeSportsシーンは誰を幸せにすべきなのか? eSportsは誰のためのものなのか? 今回はプレイヤー視点で少し考えてみよう。
ギフト勢のお遊びとしてのeSports
格ゲー界隈では「ギフト勢」という言葉が当たり前のように使われている。これは文字どおり家庭環境・経済環境が裕福で、格ゲーだけに専念していても支障なく生きていけるプレイヤーのことを指している。逆に、非ギフト勢は仕事をして稼がなければならないプレイヤーや、格ゲー以外のことに多くの時間を使わなければならないプレイヤーをいう。主に非ギフト勢からの揶揄として、ギフト勢という言葉が使われている。
これまで、格ゲーに限らず、ゲームをプレイすることは稼ぎには繋がらなかった。ゆえに、ゲームに専念できているプレイヤーは両親等々からの仕送りがある、不動産を所有しているなど、恵まれた経済環境に浴していた。そして、非ギフト勢なら働かなければならない時間をゲームにあてがうことができるため、ギフト勢はゲームがうまいし、強い。この構造が、非ギフト勢からすればギフト勢への怨嗟に繋がる。
2010年前後に格ゲーにプロが生まれ、ゲームをプレイすることで稼ぐことができるようになった。しかし、そのためには相応の実力が必要だ。相応の実力を持つプレイヤーとは? ギフト勢だ! よって、プロシーンはギフト勢のお遊びの延長として捉えられることがある。それは言わずもがな、eSportsシーン全体に言えることである。
「プロゲーマー? 結局ギフト勢のお遊びだろ?」この言説には一理ある。
誰でも参入できるのがeSports
とはいえ、eSportsはそこまで高級スポーツではない。ゲーム自体が庶民、しいて言えば貧者の玩具で、PCを買ったとしても10万円もあれば参入環境を作ることができる(お金がないなら働けばいいじゃない)。eSportsには誰でも参入できる。
そこにどれだけの時間をかけられるかは個々の経済環境に依存するので、ギフト勢のほうが有利なようには思える。しかしながら、貧者の努力がギフト勢を上回ることは多々ある。
格ゲーでいえば、クロダさんがそうだ。6月21日のeSports Talkingでサタおじが熱く話してくれたように、クロダさんは極度に貧しく、それでも格ゲーに人生を費やしていた。才能もあった。スト3 3rdではトッププレイヤーの一人だ。けれど、彼が格ゲーに費やした時間は、彼自身が闘劇2012で涙ながらに無意味だったと語った(優勝は果たしたが)。これをギフト勢がギャグだと思って大笑いしたというのは、なんともやるせない。
『週プレNEWS』の記事を読めば一目瞭然、クロダさんはあまりにも貧しい環境にいる。しかし、それでも格ゲーができた。ギフト勢よりも強かった時期がある。だが、悲しいかな、日本のeSportsシーンは彼の全盛期に間に合わなかった。けれど、彼が証明してくれたように、eSportsは誰でもできる(格ゲーはeSportsじゃない? そんな戯言は知らん)。
eSportsは貧者が幸せになる道を示すべき
日本のeSports業界関係者に「eSportsは誰を幸せにするのか」と尋ねても、はっきりした答えはほとんど返ってこないだろう。考えていないのか、分からないのか。いずれにせよ、eSportsが貧困から人を救うことができるとは誰も考えていないのではないか。eSportsが社会的地位を求めるなら、貧困からの脱出を可能とする構造になっていることはとても重要である。ほかの多くのプロスポーツ、音楽も、そういう構造を持っている。けっしてギフト勢のお遊びにすぎないとは言えない。eSportsもそうあるべきではないか? メーカーやスポンサーが幸せになるだけでは、eSportsに価値なんてない。ただの商売道具だ。
もちろん貧者のためだけにeSportsがあるわけではない。だが、少なくとも貧困からの脱出が可能であることを示し、そして実現していくことが、皆さんの好きな「ゲームの社会的地位向上」に繋がるのは言うまでもない。繰り返すが、ゲーム/eSportsは貧者にもギフト勢にも開かれている(昔、アニメなどのオタク文化が金持ちと貧者を別け隔てなく繋げる装置として機能している、という言説があったこともある)。
引きこもりを外に出させるeSports
また、引きこもりからの脱出についてはどうか。外に出れない、人と話せない、そんな連中を引っ張りだし、誰かとコミュニケーションさせる力がeSportsにはある。ぷらてさんはそう言う。間違いない。それはゲームに限らないが、世の中にはゲームしかできないどうしようもない引きこもり連中がいる。そういう連中をeSportsが救えるなら、それはeSportsが持つ大きな価値の一つだ。
実力と人気だけで評価される世界ではあるが、ゆえに平等なのがeSports。オンラインが前提なのだから、どうしようもない引きこもりでもヒーローになれる可能性を有している。そしてプロになれば、外に出てみようという気持ちにもなるだろう(スト5のオンライン環境は知らん)。
ウメハラさんは引きこもりではないが、それでも格ゲーしかできないどうしようもない連中の一人だ(サタおじ「遅刻するし、あいさつもできない」)。それがいまや、日本を代表するプロゲーマー。世の引きこもりやゲームしかできないやつらにとって、これ以上のロールモデルはない。
eSportsは引きこもりを外に出させるし、彼らをヒーローにする力がある。というより、そういうシステムを作らならなければ、eSportsには価値がない。
ゲーム/eSportsの社会的地位を向上させたいなら
いろいろ誤解を生む表現も使ってきたが、ぷらてさんの主張はもっともである。日本でeSportsを発展させたいと考えている人たちは、真剣にこのことを考えているだろうか? 持てる者たちがさらに幸せになるだけのシステムを目指しているとしたら、考え直してもらいたい。
昔はゲームしかできない連中はクズでしかなかった。生産性はない、コミュニケーションできない、取り柄なんてない、お金も稼げない。けれど、eSportsは彼らをハッピーにする。世間の意識も変えることができる。もしゲームやeSportsの社会的地位を向上させたいなら、貧困や引きこもりのためのeSportsを真剣に考えたほうがいいのではないだろうか。
……東京にしかeSportsシーンがない? 強くなるならオンラインでもできる。プロとして本気でやるなら、東京(関東)に住もう。
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