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ゲームのスキルを上げるか、仕事で使えるスキルを学ぶか──大人のためのeスポーツ×教育

このところ『オートチェス オリジン』にかまけていて、それ以外には不健康で非文化的な最低限度の生活と仕事しかしていないが、ゲームをプレイする時間にゲーム以外の人生や仕事を充実させる活動や勉強をしたほうがいいのではという考えが頭によぎっていないわけではない。

なぜそんな悪魔的な考えが生じるのかというと、皆さんご存知のように、最近はeスポーツ周りで「教育」が注目されつつあるからだ。

例えば、大阪にオープンしたREDEEでは「ゲームを学ぶ、ゲームで学ぶ」が重要なコンセプトとなっている。また、NASEF(北米教育eスポーツ連盟)という組織が日本でも活動を始めた。ほかにも、多くの高校でeスポーツ部が立ち上げられていて、メディアで取り上げられる際は教育における効果がいかほどかという眼差しが向けられる。

eスポーツと教育、あるいはeスポーツ×教育。このテーマ自体はたいへん有意義で研究や実践が進むべきだと思う。そしてもちろん、教育が真に目的となっている場合もあれば、教育がゲームに対する反感を和らげる大義名分になっているだけの場合もあるだろう。

ここで気にしたいのは、教育という言葉が持つ指向性だ。皆さんにちょっと考えてみてもらいたいが、大人にとってeスポーツ×教育というテーマはどういう意味を持ちうるだろうか。

大人から子供に施す教育

往々にして、教育は大人から子供へ施すものとして捉えられる。これはeスポーツにおいても同様で、基本的には子供が将来の人生や学業、仕事で役に立つ何事かを習得するためのツールや手法としてeスポーツが取り沙汰される。

だから、「eスポーツ×教育」とは一般的に、大人がeスポーツというツールを利用して子供に(生きていくうえで)価値あるスキルを身につけさせる、という意味を持つ。指導者の存在なくゲームから学びを得る場合も少なくないが、それはたいてい子供の頃の話で大人になってからではないことが多い(人生や生き方を学んだ、恋愛を学んだ、すべてを学んだ、云々)。

REDEEは「ゲームで学ぶ」に関して子供を主要なターゲットにしているように見えるし、NASEFもメインの活動は学生を対象としているようだ。そのほか、eスポーツ×教育というテーマが提示されるシーンでは、基本的に大人から子供への教育が前提されている。

※eスポーツを嗜む人の割合として若年層が多いから、という指摘はこの記事のテーマにはまったく関係がない。大人も子供もeスポーツを嗜んでいる。

大人にとってのeスポーツとは

この前提は疑う必要がある。なぜeスポーツ×教育は子供が対象になるという指向性を帯びてしまうのか? 大人も目標設定や課題解決、チームワークやコミュニケーションなどをeスポーツから学ぶことはできないのか?

この記事でeスポーツの持つ教育的効果や、学生向けのeスポーツカリキュラムを始める方法と手順が解説されている。

プロゲーマーやeスポーツ業界人などゲームのプレイが仕事に直結する人は例外として、そもそも大人にとってのeスポーツがどんな存在かといえば、楽しみや癒やし、交流や暇潰しなど娯楽の側面がとても大きい。そこで教育や学習といった側面が強調されることはあまりないように思う。

もしかしたら、大会やコミュニティを主催・運営する人は人生や仕事に活かせる何かを学べているかもしれない。けれど、そういう人は少数派だし、学びがあるからといってプレイヤー全員ができるわけでもない。

いくつかの企業で社内eスポーツ部が発足しているものの、これも基本的には社内交流やレクリエーションなどが目的となっており、教育・学習にフォーカスしたものではない。社内eスポーツ部で活動することで仕事に役立つスキルを学べるのだろうか?

どうやら、大人にとってeスポーツがとことん娯楽であるがゆえに、eスポーツ×教育が子供を対象とするものとしておのずと前提されているのだと考えられる。

※後述するが、eスポーツをプレイすることで生じる効能(友情、充実感、等々)は教育や学習には当てはまらない。また、ゲームやシーンの理解をビジネスに活かすことも含めない。ここでは教育や学習はeスポーツの外でも役立てられる(汎用的な)ノウハウを学ぶことを指す。

仕事を通して学んだほうがいい?

なぜ大人にとってeスポーツは娯楽で、教育とは関連づけられないのか。先ほどの疑問を繰り返すと、大人もeスポーツを通して人生や仕事や暮らしに役立つスキルを学べはしないのだろうか。

目標設定、課題解決、チームワーク、プロジェクトマネジメントなど、こうしたスキルをeスポーツで学ぶことはできるしそういうコンテンツを開発することもできるだろう。しかし、こう言ってしまうとあっけないが、大人は例えば仕事に役立つスキルを仕事を通して学ぶのが手っ取り早いのだ。わざわざeスポーツという遠回りをする必要がない。

日々仕事に直面し業務をこなしている大人であれば、仕事に役立つスキルを学びたいなら実際に仕事の現場で経験すればいい。状況的に仕事では難しければ、本やセミナーで学んだほうが圧倒的に効率がいい。

大人はeスポーツで何を学べるか

eスポーツ×教育が子供を対象とするのは、子供が自分の責任にかかる家庭や仕事を持っていないからだ。人生の現場で役立つスキルを学ぶ機会が少ないからこそ、eスポーツがその代替となる。

だとすると、大人はeスポーツで何を学べるのか。あるいは、何を学ぶべきなのか。実際のところ、若年層にフォーカスされがちなeスポーツにおいて大人を対象としたコンテンツの開発には大きな可能性があるかもしれない。現状はコンテンツの選択肢として娯楽しかなく、市場発展の視点からも大人の教育や学習の方向性を開拓するのは意義のあることだろう。

例えば、アンガーマネジメントはeスポーツこそまさに実践の場だ。eスポーツのプレイスキルはこれを仕事道具にしない限りは人生の役に立たないかもしれないが、プレイ中に揺れ動く感情を制御する方法はいつでもどこでも役に立つ。どれほど温厚な人でもチーターやハメ、凶運に見舞われれば脳味噌が沸騰するものだ。

もし社内eスポーツ部がより教育的な機能を持ちうるとしたら、それはそれで望ましいことだ。ただし、これは社員同士でeスポーツをプレイすることによって育まれる信頼関係のようなものではなく、eスポーツが何らかのノウハウを学ぶ実践・実験の場となることを意味している。この方向での手法やコンテンツの開発は、おそらくまだ全然進展していないと思われる(プレイする中で『努力2.0』のように何かを見出す人はいると思う)。

eスポーツを純粋に楽しめる大人/社会

当然、人生で役に立つスキルを学ぶためにeスポーツをプレイするなんてもってのほかだという考え方もある。ただただゲームに没頭し消費するのがいいのだと。僕もそう思う、直接何かの役に立たないことに時間を使う人生のほうが豊かだ。

それでも、『オートチェス オリジン』のランクを1つ上げるために何時間も費やしていると、ふと「この時間で仕事のランクを上げる勉強をしたほうがいいのでは……?」というよからぬ考えに侵食される。役に立つかどうか、生産的かどうかの呪いはとても根深い。

仮にeスポーツをプレイすることが仕事に役立つなら、僕も「ゲームのスキルを上げるか、仕事で使えるスキルを学ぶか」みたいな疑問は感じなかっただろう。断っておくと、この記事や弊誌がなによりの証拠でもあるように、人生の糧にはもちろんなっている。

逆に、eスポーツが仕事とまったく関係なく、僕のようなアウトプットもしていない人は上記の疑問や"罪悪感"とどう付き合っているのだろう?

1つには、娯楽を心から楽しんでいるのだと思う。娯楽に興じることは全然悪いことではないのだから、そう捉えるのが健全だ。もう1つには、どこか引っかかるものがありながら遊んでいる場合もある。本当はそんな引っかかりなんて感じなくていいはずなのに。

たぶん、eスポーツを文化にするとか、ゲームの社会的地位を向上させるとか、そういうお題目の帰結はここにある。仕事や暮らしに直接役に立たない娯楽を、娯楽として純粋に楽しめるような社会にすること。そして、素直に娯楽に興じられる大人であっていいと勇気づけること。eスポーツを楽しめているなら、ただそれだけで人生は少し豊かになっている。

娯楽がなければ人は退屈で死んでしまう。だから、もしeスポーツを何かしら役に立てられるなら幸いだが、そうでなくても別にいいのだ。ストレス発散やリラックスに役立っていると捉えるなら、それでも構わない(が、そう思えない人が多いのではと想像する)。

「大人のためのeスポーツ×教育」と題したこの記事の結論としては本末転倒だが、誰もがこの考え方を前提にできたうえで、その先にeスポーツ×教育があればいい。

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