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esportsはゲームを超えてスポーツに、という話はもうやめよう

オリンピック種目化の次に大手メディアが騒いでいるesportsの話題が「esportsはゲームかスポーツか」という例のアレ。

※もともと掲載していた記事がリンク切れのため差し替え

ほとんどが「esportsはゲームを超えてスポーツになった」という流れになり、esportsを称賛する形で締めくくられるが、それが何を意味しているのかはきちんと議論されない。なんとなく「スポーツはゲームよりいいものだ」という認識のもとで言われているだけだ。

近頃大手メディアがesportsを取り上げる際にこの論法が用いられることが多いので、今回はこれがいかに意味のない言説かを書き留めておく。

※2018年10月26日追記:この記事における「ゲーム」は「ビデオゲーム」のことだ。

esportsはゲームだ

結論から言うと、esportsはゲームだ。少し詳しく言うと、ゲームを用いた競技だ。それ以外の何でもない。単に名称をスポーツから拝借しただけで、ゲームかスポーツかと問うまでもなく、間違いなくゲームである。

「esportsはゲームかスポーツか」「esportsはゲームを超えてスポーツになった」という言説は、キャットフィッシュを猫か魚かと真面目に議論し、魚を超えて猫になったと主張するようなもので、まったく無益だ。キャットフィッシュは誰がどう見ても魚だ。

たしかに、キャットフィッシュとネコの髭が似ているように、競技としてのゲーム(esports)はスポーツの構造によく似ており、有する価値も似ている。だからこそ名称が参考にされたのだし、互いにいいところを学び合うこともできる。

けれども、似ているからといって「esportsはスポーツだ」という必要はなく、esportsがスポーツになる必要もない。キャットフィッシュが猫になる必要がないように。

ゲームとスポーツに優劣関係はない

そもそも、こうした言説自体に正当性がない。なぜ平然と「ゲーム<スポーツ」と公言できるのか? それは何かしらのデータで証明されているのか?

もちろん、データなどない。ゲームとスポーツに優劣の差があると考えるのは、「ゲームはくだらない遊び」だと捉え続ける人たちがいるせいだ。

体力や腕前を競い合うスポーツは遊びよりも優れている。ゲームは遊びだ。だから、スポーツはゲームより優れている。この論理を暗黙の了解として押しつけ、esportsがスポーツの名称を冠している(あるいは似ている点が多い)のを理由に、ゲームではなくスポーツとして説明しようとする。

しかし、別に遊びとスポーツの間に優劣関係はなく、ゲームとスポーツの間にも優劣関係はない。遊びもいい、ゲームもいい、スポーツもいい。そして、esportsもいい。以上で議論は終わりである。さらに言えば、さらにそれぞれの領域は互いに重複する。だから、esportsはスポーツのように面白い、と言うことはできる。

だいたい、種類が違うものを比較することに意味はない。もしどうしても比較したいなら、せめて単位を揃えよう。

ゲームは体を動かさないから発育を促さない、(フィジカル)スポーツは体を動かすから発育に役立つ。

esportsはスポーツと同じくファンを中心にしているから、ビジネスモデルやマーケティングを参考にできる。

こういう言い方は的を射ている。ただし、どちらかが一方的に優れているわけではない。ゲームにはスポーツにない価値が数えきれないくらいある。逆もまたしかり。

esportsをどう評価したら分からない

「esportsはゲームを超えてスポーツになった」といった言説がメディアに平然と登場するのは、結局のところesportsなるものをどう評価したらいいのか分からない人がコンテンツを作っているからだ。だとすると、「ゲームを超えてスポーツになった」と言えばesportsの価値が分かりやすいと考えるのは当然である。

しかし、これはかなり劣悪な褒め方だ。比較しないと価値を測れないのは分からないでもない。しかし、相対的な価値付けは必ず不必要な優劣を生む。比較せずに評価するにはそれなりの能力と努力が必要だが、広く伝える立場にある人がそれを怠るのは危うい。こうして気軽に優劣関係を示唆すると、結局は差別思想に繋がってしまう。

いま必要なことは、新しく生まれたesportsをesportsとして評価すること。より正しく言えば、個々のタイトルやシーンをそれ自体で評価すること。

その議論を積み重ねるべきは、まさしくゲーマーたちである。いまプレイしているesportsタイトルがなぜ面白いのか、どこが面白いのか。どんな価値があるのか、何に魅力を感じるのか。そういうことをどんどん発信していかないといけない。

その結果、esportsをどう評価したらいいのかという知見が溜まっていき、界隈の外へと波及していく。要するに、まだまだesportsを語る言葉が少なすぎるのだ。

※「eスポーツ」と表記したときの「スポーツ」に意識が引っ張られすぎなのだろう。

※esportsという言葉自体の必要性はまた別に議論すべきだが、指し示すための言葉がなければ物事は世に広まりようがなく、その物事があるということすら意識されない。「ゲーム大会」や「ゲーム競技」といった意味明瞭な言葉だけではいまのような潮流は起こらなかったと思う。

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