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🎄家に生活費も入れずに教会に寄付していた父 12/8

この日は、父が生前通っており、葬儀を執り行って頂いた牧師の教会に挨拶に行く。

表題からは、何か怪しげな新興宗教でも連想されそうだが、教会はプロテスタントの普通の教会で、牧師さんもまともな人であり、うちの父が見栄張りなだけである。

持っていくものは、牧師さんから個人的にいただいたお花代(香典)の返礼のお菓子、挨拶がわりの献金いくらか、それと母が形見分けしたいと言った父のネクタイ数本。

予告していたので、平日ながら牧師さんが待っていてくれたのだが、行ってみて驚く。

教会の祭壇の上の電球が長年切れていたのは知っていたし、それを取り替えたのは聞いていたのだが。

画像1これだけではない。

礼拝堂の天井全ての電気が、LEDに取り替えられていて、それが全部父が寄付したものだと言う。

あの男、生活費を一円も家に入れずに母に寄生しておきながら、年金全額ここに注ぎ込んでいたとは……。

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さらにトイレを見せてもらう。

ウォシュレットを寄付したのも聞いていたが、このトイレは旧式でそもそもコンセントも無かった、後手すりも。

電気の配線工事と、手すり工事はあったほうがいい工事とはいえ、自宅のトイレの手洗いの水道が水漏れしてるのは放置して、こっちに金を注ぎ込んでいるとは。

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そして、この左側の鉢植え。
これも父の寄贈らしい。
近所の物産店で買った鉢植えを🪴何故かタクシーで教会に寄付しに来たと聞いて、私個人は開いた口が塞がらない。

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その他にも、高校生に分厚い物理学の参考書を買ってプレゼントしたとか、自分の同級生の写真家が出版したという五千円もする中国の橋の写真集とか、色々訳が分からない。

言っていいか、その橋の写真集、実家にも同じものがあったぞ、二冊も買ったんか。

牧師は父を褒め称えてくれて、母はいいご機嫌で聞いていたが、私はひたすら心中で突っ込みを入れていた。

(この見栄っ張りが!)

寄付をすれば「高梨父さん、すごい!」と、目を輝かせてもらえる。
うちの父の成分は、今流行りの承認欲求だけで出来ていたんだな。

その上、牧師は、みかんやリンドールチョコを幾つかや手土産まで用意してくださって渡してくれていたたまれないことこの上ない。

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とりあえず教会でも何回か撮ったので帰りにカメラ屋に寄って現像して母に渡しておく。

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教会の用は午前で終わったので一旦帰宅し、ゴミ出しにもう一度実家に来て、あっ、と思う。

前日、離れで父の襟の黄ばんだシャツとか、もうだれも絶対に着ないだろうセーターとかがあったので、上のようにゴミ袋二つほどにまとめていたのだが、それが持ち出されてゴミ袋ひとつになっている。

してやられた。

母に聞くと、セーターはまだ着れるから抜いたという、いや絶対着らんやろ。
シャツは、廃品回収に出すから抜いて紐で括ったと言うが全部襟が真っ黄色なのに廃品回収にならんだろと思ったりもする。

ゴミは直前にまとめるか、視界に入らないガレージに出すの二択だなと学ぶ。

後は、父宛の郵便二通が来ていて、これがまたご丁寧に自分で取り込んで、それ用の玄関の箱に入れてくれていない。

一通は、普通に死亡通知ハガキを返信すれば良いものだったが、もう一通が曲者だった。

それはうちの兄が、カード会社に解除連絡をしたはずの、電気屋のクレジットカードの書類で、どうもその電気屋の会員制クラブにクレジットカードの機能が付帯すると言う形式だったのか、カード解除とは別に、クラブの退会届が必要だという。

退会も何も、死んでますが。

なんとその書類は、会員(死亡した本人)の名前で代筆して(しかし代筆者の名前を書く欄がない、形式的には死人が自書した形になる)、死亡診断書をつけろとあった。

正気?
この形式だと死人が自書した形になりますが。

死人が書いたことにして、書類は出した。

投げ銭歓迎。頂けたら、心と胃袋の肥やしにします。 具体的には酒肴、本と音楽🎷。 でもおそらく、まずは、心意気をほかの書き手さんにも分けるでしょう。 しかし、投げ銭もいいけれど、読んで気が向いたらスキを押しておいてほしい。