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先生、私の字を上書きしないでほしかった。

「ほら、一緒に書いてあげるから」
先生はそう言って、筆を持った私の手を掴んだ。


小学生のとき、習字教室に通っていた。きっかけはお友達のAちゃんが行っていたから私もやりたい!と言い出したからだったが、親も「字が綺麗なのはいいことだから」と通わせてくれた。

親には大変申し訳ないと今になって思うのだが、入ってすぐ辞めたくなった。

お婆さまが個人でやっている住宅街にある教室だったのだが、最初は新しい友達や高学年のお姉さんと知り合えて楽しかったものの、指導のやり方が苦手で段々辛くなっていった。

習字教室とはどこもそうなのかもしれないが、私が行っていた教室では、次のような流れで進んでいった。 

・まず席に着き、毛筆から始める。
・先生に今日の課題を出してもらい、その課題の文字をひたすら筆で書く。
・つどつど、先生に見せに行き、朱色の筆で上書きして何がよくないのかを説明される。
・毛筆の合格が出たら、硬筆の課題を渡され、ペン字もしくは万年筆での筆記の練習を行う。

先生のところに見せにいって、朱色で上書きされるのはまだいい。嫌だったけど、まだ別の色だから。先生が書いた赤い文字と、自分が書いた黒い文字が判別がつくから我慢できた。

一番苦手だったのは、二人羽織のような形で先生が後ろから筆を持った私の手を掴んで、そのまま先生の達筆な筆跡を黒い墨で指導されることだった。
教室内を先生が歩き回り、字が上手く書けていないときに背後に来て、「また変な癖がついてるわよ」と言いながら手を掴まれる。

あまり理解してもらえないかもしれないが、小学生のときの私にとってそれはすごく屈辱的で、嫌だと感じることだった。


今になって、あのときなぜあんなにも嫌悪感を抱いたのだろうと考える。

たぶん、習字の紙の上だけではなく、「私自身」が上書きされる感覚が嫌だったのだと思う。

私が書くはずの墨の黒い文字が、私じゃない筆跡で書かれる。
私の手から自由が奪われ、先生の操作するロボットのように動かされ、文字が描かれていく。
それが、当日とても嫌だった。

先生の指導方針が間違ってたとか、そういう話がしたいわけではない。
習字だけではなく、自分の体を操られるように動かしたり指導されること自体が全部苦手だったように思う。
(体育の授業とかスイミングスクールとか)

だからたぶん、それが普通のやり方なんだとは思う。

ただ、あのときの悲しい気持ちになった私を、ここにこうして書くことで慰めてあげたくなっただけなのだ。

辛かったね、嫌だったねって、誰にも共感されない「普通のこと」に、ちょっとだけ愚痴を言いたくなった。

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