「あいさつ」は子供の頃に習ったと思う。かなり早い時分に習うコトの1つだろう。家庭で習ったのか、学校で習ったのか、もう覚えていない。友達や目上という存在が生まれた時にも、改めて教わった気がする。
多くの人が大なり小なり「あいさつ」を習っている。だから、あいさつすることは「あたりまえ」という風潮がある。そして「大事さ」も共通した認識ではないだろうか。
しかし、どうだろう、その「大事さ」に見合うあいさつをしているだろうか。自然にできるものだと勘違いをしていないか。長い年月、いろいろな関係性の中で、おざなりになってはいないだろうか。
僕のように思い当たる人は、子供の頃に習ったままにせず、大人として解釈をし直してはどうだろう。
正直、年配の方ほど、あいさつの良し悪しの個人差が大きいと感じている。立場や習慣の差が大きいから仕方ないことかもしれない。でも、あいさつが大事だというのなら、今こそ「あいさつ」のリスキリングを始めてはいかがだろうか。
あたりまえということは、「意識していない」とも言いかえられる。しかし、あいさつを分解すると「言葉」「表情」「声色」「声量」「目線」「姿勢」「礼」「タイミング」と、こんなにも要素がある。これらをすべて連動させてこそ、良いあいさつとなる。
まず、言葉の定義を確認する。
想像より多くの意味があった。びっくりした。原義となる「相手を推し測る」ということも深みがある。しかし、今回は職場を対象に「③ 交際を維持するための社交的儀礼」「④ 人と人との関係が、親密になるように働きかけること。」を考えていく。
それを定義とした場合、「働きかける」とは「自ら」という意味である。自ら行わないあいさつは、あいさつとは云えない。また、関係を維持・親密にするには「良いあいさつ」が必要不可欠になる。
つまり、あいさつは「人と人との関係を維持・親密にするために、自ら働きかける儀礼的行為」ということになるだろうか。
では、「良いあいさつ」とはどういうことだろうか。ここで少し自慢したい。
若い頃、複数店舗展開している洋服屋でアルバイトしていた。その日は、めずらしく社長が視察にくる日で、店長は緊張した面持ちをしている。こちらまで胃が痛くなりそうな雰囲気である。しかし、社長の視察はあっという間に終わり、僕は「お疲れさまです」とあいさつしただけ、あっさりしたものだった。
「すごい良い挨拶だった」と社長が帰ったあとに店長に声をかけられた。たかがあいさつを「わざわざ」褒められた。声、表情、タイミングが全て丁度良いあいさつだったらしい。挨拶1つで人の心が動くかもと思わせる出来事だった。
あなたは「素敵なあいさつ」1つで惚れそうになった経験はないだろうか。僕はある。
あいさつは人の心を動かせる、惚れさせるポテンシャルを秘めている。
きちんと相手を見る。
今日もお互い元気に会えた喜びを笑みにたたえ。
邪魔にならないタイミングと、適切な言葉で、
機嫌良い声色を、相手に聞こえる声量で届ける。
「おはようございます」。
そして背中から軽く一礼する。
朝一番、今日のはじまり。あいさつで1日が台無しにもなる。無視されると本当に腹立たしい。だから、「あいさつ」をリスキリングしてほしい。誰かと練習してほしい。映画やドラマで素敵なあいさつを見つけてほしい。
自分の声色、声量は、実はあまり把握していない。おじぎは意外なほど首だけで行っている。たまに動画をみると恥ずかしくなる。
「あいさつ」を、子供の頃に習ったままにせず、大人として解釈をし直し、リスキリング、学び直しをしてはいかがだろうか。
最後にあいさつの効果についてchatGPTを引用する。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
足跡を残していただければ幸いです。