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今の私

 何が正しい、何が間違い、とか、そういうのではなく、自分はどうしていきたいのか、まずは考えたほうがよい。

 自分のことばかり見つめ過ぎてしまっても、何にも見えなくなってしまうし、そうなるくらいなら他者を観察したほうがよい。

 何が正しい、とか、何が間違い、とか、そんなものがあるわけではなく、何を選び、それからどんな行動をし、どう考えていくか。自分として、何がよいものであると思うのか。そんなことを念頭においたほうが、よいのだろう。

 判断基準はすべて、自分がどうしていきたいか、を根本にするものだから。

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 そんないろんな言葉たちを聞いてみても、今私ができることは何であろう、とそんなことばかりを考えてしまう。

 そうした思考術も、もちろん大切なことだとは思う。けれど、現実に私が今の精神状態でできることはなんであろう、と考えたときに、そううまくもいかないものだと感じる。

 そうしたものすべてを操るのは、私なのだから。

 他の誰でもない、その言葉を伝えた者でもない、私、なのだから。

 だからこそ、たしかに、選ぶのは、私なのだろう。今の、私なのだろう。あの日の私でもない、いつか先の私でもない。今の私を知っている、私、なのだろう。

 すべて、すべて、操るのは、今の、私なのだから。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。