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母に会いに帰るまでの段取り

8/28 今日は自分の病院回りで1日が終わった。
私の通院している精神科専門病院は、山の裾に静かに建っている。県立の病院なのに、意外と知らない人が多い。

主治医に伝えることは殆ど決まっていた。母のそばに居たいから、新潟にもう一度帰りたいと。(話の途中でまた泣いてしまった)泣きながら喋る私に主治医は無言でティッシュを手渡してくれた。 
「今はお母さんと同じ空間で、同じ時を過ごしてください。」
そう言ってくれた。私はうなずく。そして休職をさらに伸ばすことにした。次の診察も、新潟から電話で受信ができるようにお願いした。


その次は歯医者だった。私は現在過食がひどいので、歯のケアを怠れない。
以前虫歯を酷くして、深夜に救急外来でたまたま見てくれた先生が「障害者専門歯科医」であり、何かの縁か、そこに通うことにした。


障害者専門歯科で、私に施される麻酔の順番は以下である。

⒈ 酸素マスクのようなもので口と花を覆い、酸素麻酔。約2分。
⒉ 歯茎に表面麻酔。2分。
⒊ 注射針で局所麻酔。5分。

・・・こんな丁寧な麻酔は初めて受けたときは驚いた。今までの歯医者での麻酔の痛みは一体なんだったんだろうと思ってしまうくらい、段階を踏んで麻酔をかけてくれる。恐怖心が少ないのは、継続して通院するのに大切な項目だと思う・・・。はたから見て、まるでこれから手術をうけるような光景でちょっと恥ずかしいけれど・・・。(歯の治療も立派な手術です。)


ちなみに以上の3つの麻酔をうけると、個人差は有ると思うが私の場合は

⒈ 酸素麻酔、段々と呼吸が整い緊張が解れる。
⒉ 表皮麻酔、なんか冷たいものを当てられてる?って感じ。
⒊ 局所麻酔、力強く歯茎を押されているような感じだけど痛くない。
⒋ この辺で大体10分経過。徐々に意識もぼんやりしてくる。
⒌ さらに意識は遠のき、その間に治療。遂には眠くなり、深い箇所の治療の時でも眠ってしまうくらいで、気がついたら終わっていたりする。


相当ざっくりだが、こんな感じである。(説明が下手でごめんなさい。)
意識が混濁している時、現実との境界が曖昧になる。4割意識があって、6割ははっきりしない。
もしかして、死ぬ間際ってこんな感覚なんだろうか。
ちゃんと元気にならないとね!と言う母の声を思い出して、意識混濁の中、また涙が出そうになった。場所を選んで泣けないほど精神にきてるのか。 

歯医者で泣くのは流石に恥ずかしいので、頑張って堪えた。

しかしまあ、10年もよく過食や嘔吐による胃酸に耐えてくれていると思う。摂食障害でも、歯を守りながらその病気と付き合っていくのは重要な事である。

帰り際、新潟にしばらく帰省すると到底して、紹介状を書いてもらえないかと聞いてみた。歯医者で紹介状を頼むのは初めてだった。とても親切な事に、知り合いの障害者専門歯科のつてを辿って、私の住まいの近くに該当する病院を探してくれると言ってくれた。 私は深くお辞儀をした。これで新潟に帰っても引き続き、歯の治療が受けられる。

ぶっちゃけ、一番安心したのは、同じような工程で治療を受けれる可能性が大きいと言う事。麻酔に関しては私はかなり重点を置いている(ただの痛がり・・)


自分が障害者だと言う事をひた隠しにしてきたのだけれど、素直に言えて良かったと今は思えている。
身の丈にあった生き方をすると言うのはとても初めは勇気が必要だった。
しかし、公開して初めて、職場も障害者雇用で働いているけれど、一番勤続年数が長いし、最も面白い、人間関係も好き。
時給もほんの僅かだけれど昇級したし、後悔はしていない。

障害者雇用についてまだまだ描きたい事もあるが、これは次の記事で描こうと思う。


ひとまず、新潟に帰る段取りはできた。あとは今の職場をどうするかだ。これも次の記事で、障害者雇用と並行して文章にしていこうと思う。


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