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父の暴力との和解

昨日、父と漸くまともに会話した。私が母に教えてもらいながら作った父好みの味付けの皿が並ぶ食卓を囲みながら、障害者雇用で入社してきたある男性の話をしながらのことだった。

私は今まで、昔の父の暴言や暴力のトラウマをなかなか克服できず、父の前では萎縮して言葉を交わすことに恐怖感を抱き続けてきた。
本当は今も、聞きたいことがたくさんある。養子で入ったこの家のこと、生まれた時の初めての記憶、亡き母への想い。(父の母は、父を産んで直ぐ亡くなった)まだまだ、山程。

おおよそ20年ほど前の父は、相当荒れていた。タバコにギャンブル、酒に暴力。ストレス胃潰瘍で二度入院。サラ金からの返済要求電話。(私が出たときは心臓が氷る気がした。小学低学年の頃の記憶)私の貯金もいつの間にか無くなっていたこともあった。

父を養子に迎えた祖父祖母は、父を嫌い、父も彼らを憎んでいた。
酒を飲んで帰ってくれば、祖父母の寝室に怒鳴り込み、相手が老人だろうと容赦なく怒鳴り、手を上げた。おばあちゃんの、怯え、か細く震える声が未だに耳の奥に瘡蓋みたいに記憶として残っている。

もちろん、怒りの矛先は母や私にもやってくる。母にも容赦なく、父は手を上げた。寝室の暗闇の中で、私は布団に隠れて震えながら、父の拳が母の身体に強打される生々しい音を聞いて育った。私が止めても、吹っ飛ばされた。すると母は真っ先に私をかくまって守ってくれた。でも、毎回「もう死ぬ、もう死ぬ」と、泣きながら私を抱きながら、声を殺しながら泣いて言うのだ。とても、苦しかった。母の背中の青痣、目蓋の腫れ、今でもくっきりと思い出せる。10歳未満の私には、父は恐怖そのものだった。

ドラマのような、本当の話である。

けれども、今も父と母は夫婦で、今は亡き祖父母とも父は父なりに和解して見送った。葬儀を上げ、喪主を務め、毎年墓参りにもいく。しかも時々、労りの言葉すら口にする。父の中で何かが変わっていた、のは分かった。全てを解釈することは簡単なことではないと思うし、無理だと思う。祖父母の死から、殆どパッタリと暴力は無くなった。私は、母の安全が少し確保されたと喜んだ。時々電話をかけて安否を確認した。喧嘩はしたけどいつも通りだよ。そう答えてくれるまで、何度か励ましたり、他愛のない話で笑った。

父も、相当な苦労人なのだと言うことはわかるんだ。ひとりで会社を起業して、人を雇って、仕事をとってきて、長い間社員を辞めさせずに会社を回して行っている。もちろん借金は膨大。だから決して、成功者とまではとても言えないかもしれないけど、時々街を回るときや、食事の時、自分が仕事をした現場を教えてくれる。その時の顔は輝いていた。言い遅れたが父は塗装屋である。

母は、私と姉を守るためなら自分はどうなってもいいと言ってくれていた。私達はそれを悔しく思った。いつかは私たちが母を守ろうと、心に誓って一度県外へ出た。
父の恐怖に耐えかねて、大学進学を機に私は北海道。姉は千葉へと。それぞれの学屋へ。その暮らしは本当に至極幸せそのもので、物理的距離という超安心感。安眠につける事。食事の時に険悪になり、味がしないご飯を食べなくても良くなった事。(本当に味がしなかった)
同時に、母を残してよかったのだろうか、とあう後ろめたさは尾を引き続けていた。

暫くして、父の暴力や暴言も極端に減ったと母から伝えられた。私が二十歳を過ぎたくらいの時だった。なにやら平和そうに暮らしていた。初めはギョっとしたが、冷静になる程嬉しさがこみ上げてきた。どうしたんだろう?2人ともそれなりに暮らしているのかな。気になって気になって、けれど、北海道の僻地にいた私はなかなか会うこともままならない。その時、初めて家が恋しいと思えた。大嫌いだったあの家に帰りたいと思った。不思議だった。
父が暴れてガラスを割り、その血痕が染み付いた床板がある家に、なぜか、そんなこと忘れて、家族に会いたいと思った。

父は、いつの間にか性格がころりと丸くなり、ちょっとしたことでも怒らなくなっていた。母はいつも通りだったが、少し痩せていた。父の工場がちょっぴり広くなっていた。猫が1匹増えていた。使われなくなった部屋が増えていた。父はよく家に帰ってくるようになっていた。たまに母と笑い合ったりしていた。私が不在の間、なにがあったのか。時の流れと言うやつが、父の傷も癒して流してくれたのかなぁ

幼い頃の傷や、埋めることのできなかった距離を今縮めようとしている。やっとそうできるような気がしてきた。30手前の私と、40手前の姉、それぞれがまた家族の側に集まって、母の病をきっかけに改めて家族になろうとしている。過去の悲しい出来事を乗り越えて、愛で包めそうな気がしている。生きている間にしかできないことがある常套句が、今計り知れないリアリティさを纏って日々私の直ぐ横で、後悔するな、と囁いている。


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