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呪いは祈りだった

今でも時々思い出す。

小学2年生の1学期修了式。目立ちたがり屋だった当時の私は、校長先生から自分のクラスの通知簿を貰い受ける係に立候補した。全校生徒が整列した体育館で、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。

校長先生から名前を呼ばれる。

「(本名)くん

私の名前を呼んだのだと気づかなかった。だって私は女の子だって疑いなく思っていたから。男の子が呼ばれる時の「くん」なんて敬称、私には付かないはずなんだから。

全校生徒の前で、性別を間違われた。

ショックだった。

名前なんて、1番のアイデンティティなのに、雑に扱われた気がして。

私が抱えて生きることになった名前コンプレックスの始まりだった。

ーーー

私の名前に使われている漢字は、常用漢字ではないし、一般に男性に付けられる字だ。それに自分の名前の読み方は漢和辞典にも載っていない。因みに漢和辞典でこの字を調べると「小賢しい」とか出てきて、あんまりいい言葉ではないんだろうなと子供ながらに思っていた。もうひとつ仏教に関連する意味もヒットするのだが、こっちは幼い私には何一つ理解出来なかった。

小学校の宿題で親に由来を聞いた時は、自分の名前が仏教由来のものであること以外1ミリも理解出来なかった。少し成長すると、大体家が寺だからといって、子供が信仰するかどうかも分からん宗教を由来に名前をつけないでくれ、と思っていた。

名前が珍しすぎてクラスメイトから変なあだ名を付けられたりもした。

通っていた体操教室で「どんな漢字を書くの?」と訊かれて上手く答えられなかった。

自分の名前が好きではなかった。
ホームステイ先のホストファザーに「いい名前だね!」と褒められたりして、少しずつ溶解していったけれど、やっぱり名前は呪いだった。私を縛りあげ、忘れていたかと思えば「なんでこんな名前なん…」と唐突に思い出させる。初対面の人に名前を説明するのに苦労したりすると、やっぱり嫌になる。

こんな感じで「名前コンプレックス」を拗らせたまま成人してしまった。

ついでに、これはいつぞや書いたけれど、私はずっと自分のことを「産まれてくるべきじゃなかった子」だと認識していたから、生きていくための自信、指針が、欲しかった。
何とかして、私が生きていていい理由を親に見いだして欲しかった。その指針が名前だと思っていた。

(↑産まれてくるべきじゃないと思っていた話)

ーーー

名前は生きるための指針だと思っている。名前は自分では決められない。「人に優しくできるように」「賢く育つように」「輝けるように」と、名付けてくれた人が願いを込めて、その人の望む理想的な人格が託されたもの、それが名前。

人生に迷った時、自分の名前の意味を振り返ることで、また進めるようになる気がする。

私ではない誰かに生きていていいと言って欲しかった。それだけの事なのだと思う。

名前は適当に決められることは少ないから、その望み通り生きられれば、少なくとも生きていていい理由になる気がした。

でも、私はその指針を知らない。あの頃は理解できなかった。

今なら理解出来るかもしれないと、名付けた父に由来を聞いてみた。

仏様の智慧からきています。
人の知恵と仏様の智慧は違います。
仏様の智慧の光に照らされ健やかに、迷いのない人生を過ごしてほしいと思いました。(原文ママ)

自分の名前の意味を理解できて、生きるための指針が見つかることだろう、という私の淡い期待はあっけなく打ち砕かれた。

現状私の人生健やかでも迷いない人生でもないのだが??

親という自分より強固な存在が私に与えた生きる指針、より有り体に言えば彼らが私に求めていることが全く理解できなかった。私に託された思いが何なのか分からず頭を抱えた。
人の言った通り生きるのは楽だから、そうしたかっただけかもしれない。


暫くして、この文言が私自身には特に何も求めてないのでは?と思い至る。

私に何も望んでいない。

「健やかに、迷いのない人生」というのは、自分が掴み取るものというよりも、仏様の智慧によって結果そのような人生となる、ということなのだと解釈した。
すると敢えて父が私に求めていることを言葉にすれば「ただ生きていて欲しい」という祈りなのではないだろうか。

私の求めていた羅針盤とは違っていたけれど、ただ生きていることだけを求められることも同様に幸せなことかもしれない。

生きているだけで受容されることなんて、この世界でそうあることではない。
ありがたく受け取っておきたいと思う。


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