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望まれたかった

私を取り囲む全ての人に、心から望まれて産まれてきたかった。

両親はおめでた婚だったらしい。
私が生まれたから結婚したと幼いことから何度も聞かされた。

1番よく聞いたのは「父方の祖母に結婚を猛反対された話」。

この記事で出てきた、一人暮らしをしている祖母だ。

その話の最後、いつも父は「あなたが生まれてきてくれたからお母さんと結婚できた、ありがとう」という。けれど、マイナス感情に引っ張られやすい私は「ああ、手放しで喜ばれてはいなかったんだなぁ」と思う。認知の歪みもあったと思う。

幼稚園の頃、今は亡き母方の祖母と散歩中に「パパとママは私のおかげで結婚できたんでしょ!」と誇らしげに言うと、お外でそんなこと言うなと言われた。あぁ、私は社会的に正しくない産まれ方をしたんだなぁと子供ながらに悟った。

「自分の誕生は必ずしも祝福されたものでは無かった」

元日、件の父方の祖母の家に行った。その帰り父は、母が私をお腹に宿さなければ「祖母の実家の養子になる予定だった」と世間話と同じテンションで言った。
石川にある祖母の実家のお寺は、かなり大きいのだが継手がなかなか見つからなくて云々という話を聞かされたから思い出したのだろう。
次男である父は、そのお寺を継ぐはずだった。

私が産まれなくても父と母は結婚したかもしれない。けれど実際のところ、母は自分の寺を(私の実家)を継がなければならなかったのでその可能性は低いだろう。

「あ、やっぱり私が産まれなければ世の中うまく回っていたんだ」と悟ってしまった。

子供の頃から、1つ下の弟の方が優遇されているだ何だと言っては、自分は望まれていない子だという思いを抱えてきたけれど、ここでハッキリと自覚した。「産まれてくるべきじゃなかった」

同時に、これは甘えだとも思う。ここまで育ててもらっておいて、産まれてくるべきじゃなかったとまだ親に責任を擦り付けようとしている。

産まれてくるべきじゃなかったとしても、もう21年も生きてきてしまった。それなりに愛情を受けて育ってしまったから。
産まれてくる前なら、確実に「私は産まれません!」と宣言してやっただろうけれど、そういう訳にはいかないのだ。もう生きるという無期懲役を課せられているのだから、命尽きるその日まで、生きなければならないのだろう。



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