子どものとき感じた、圧力について。のお話
今回は、【属性シリーズ】の番外編(本編もろくにシリーズ化できていませんが汗)として、この稿を書きたいと思います。
私は、小さい頃から、極端にマイペースでした。
よく言えば、自分のペースで成功することが分かっている。ということなのですが、
周りに、そんな風に考える大人は、誰一人として居ませんでした。
それもそうです。
周囲との協調性を求められ、集団行動を『善』と教え込まれ育った大人には、『マイペース』など、捨ててしまえと思うほど、嫌悪の対象だったに違いありません。
そんな私が、あのとき、『なんで?』と感じ、今振り返ると『芽を摘まれたのだろうな』と、思うことを、読みやすいよう、幾つかに分けてnoteに投稿したいと思います。
また、マイナス面だけでは自分の幼少期があまりに悲しいので、『心に暖かく残ったこと』も(少ないですが)書き記していこうと思います。
【未就学児時代(生後〜6歳頃まで)】
もうだいぶ昔なので、記憶が乏しいのですが…鮮明に覚えているのは、特定の保育士による、虐待でした。
保育士の立場を学んだ今だから分かりますが、日々の業務に追われ、思い通りに動かない私の存在に、憤っていたのでしょう。
いつの間にか、あらゆるものが積み重なり、私のやることなすこと全てが気に食わなくなっていたのだと思います。
私の家庭は問題も抱えていたこともあり、睡眠や食事が不規則でした。
私にとっては、保育園は、美味しいお昼ごはんやおやつが食べられ、たくさん遊べてたくさん眠れる場所であったのです。
お昼寝は、限られた時間であり、子どもにとっては、いわば仮眠です。
しかし、本眠(私の造語です)がまともにできていなかった私には、お昼寝とは、本当にぐっすり眠れる時間でした。
そのような睡眠をするとどうなるか…
保育に携わる方であれば、必ず一度は目にする光景。
『起こしても、起きない』
という事態が起きます。
これは、保育の業務を遂行するにあたって、とても難儀することです。
なぜなら、
①布団が片付けられず、そのエリアを使えない、掃除できない
②お昼寝後の、おやつ、遊びが詰まる
③睡眠中の事故を防ぐため、誰かが見てなくてはならない
④周りの子どもとの兼ね合い(なんで◯◯ちゃんは寝てても良いの?等)や、他職員との兼ね合い(個人的には、これが一番大きいと思います)↑いわゆる、園という集団生活を送る上での、【規則】ですね。
以上のこともあり、起きない子どもを放っておく園は、おそらく無いでしょう。
しかし、これは、本当に必要なのでしょうか?
必要な睡眠は、その子によって、違うのではないでしょうか?
家庭環境も含め、さまざまな立場の子どもがいます。
園では、安全に生活できることが、基本中の基本です。
それが、その子にとって惰眠ではなく、生きる上で、必要な睡眠時間だったとしたら…?
残念ながら私の園に、その考えへ至る職員は…
居ませんでした。
では、どうしたか?
まず、殴りつけました。
そして、それでも起きられない私を、『そんなに眠っていたいなら寝てろ!』と、敷布団ごと引きずり…
誰もいない・何も置かれていない、事務員室とは名ばかり(園の廊下の隅にある、2畳ほど)の部屋に連れて行きました。
それまでの経緯は、うっすら記憶があります。
そして、その薄暗い部屋で、私はひとりぼっちで眠ることになりました。
この時の私は、体が睡眠をとらないと危険だと本能的に生きていたため、『眠れるなら良いや』と、逆に助かった気持ちでした。
そのまま熟睡しました。
浅い眠りが来た頃、
『ガチャっ』
という音がして、その音で目が覚めました。
外は真っ暗で、電気も点いていないため…
その扉を開けた人物の後ろから差し込む、廊下の明かりが陰を作ってしまい、それが誰だか、全く分かりませんでした。
『おーい、誰か寝てるけど?』
保育職員に呼び掛けるその男性は、保育職員ではありませんでした。
多分、事務職員か警備の人だったのだと思います。一度も関わった事のない人でした。
顔が見えていたとしても、誰だか分からなかったでしょう。
その人に『ほら、出なさい出なさい』と促され、廊下へ恐る恐る出ると、あの虐待保育職員が、仁王立ちで私を睨み付けていました。
その後の記憶は、長椅子の上に叩きつけられ、馬乗りになって執拗に殴られた場面だけです。
このとき、『他人の大人を信じる芽』を摘まれたのではないかと、なんとなく感じています。
暗い話が長くなりましたが、世の中、善と悪は秩序よく存在しているもので、園の職員にも、私のしばしの憩いがありました。
その職員とは…
この続きは…、次稿に書きたいと思います。
お見苦しい点も多いと思いますが、読んでいただき、ありがとうございました。
いただいたお気持ちは、創作意欲を掻き立ててくれる毛むくじゃらでニャァと鳴く息子・娘で分け合います(^_^)