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「うない(姉妹)」神という物語――沖縄とジェンダー/エスニシティー」

琉球史学特論2010年6月17日
                                 高良倉吉研究室
                                 報告者:S
第IV部 文化的特性とアイデンティティー
「うない(姉妹)」神という物語――沖縄とジェンダー/エスニシティー」
                              勝方=稲福恵子
概要:

1.「うない」神という物語効果

冒頭で勝方=稲福はなぜ「物語効果」か、その理由を述べる。それはアイデンティティーも主体性も「わたし」もすべては物語としてイメージされる構築主義的思考の枠組みを踏まえるからであると釈明し、構築主義の立場をとるとする。構築主義とは「現実(reality)、つまり現実の社会現象や社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする立場」であり、英語の定義は以下の通りである。

Constructivism is a philosophical position that views knowledge as the outcome of experience mediated by one’s own prior knowledge and the experience of others. In contrast to objectivism (e.g. Ayn Rand, 1957) which embraces a static reality that is independent of human cognition, constructivism (e.g. Immanuel kant, 1781/1787) holds that the only reality we can know is that which is represented by human thought. Each new conception of the world is mediated by prior constructed realities that we take for granted. Human cognitive development is a continually adaptive process of assimilation, accommodation, and correction (Piaget, 1968). Social constructivists (e.g.Berger and Luckmann, 1966) suggest that it is through the social process that reality takes on meaning and that our lives are formed and reformed through the dialectical process of socialization. A similar dialectical relationship informs out understanding of science (e.g.Bloor, 1976), and it shapes the technical artifacts that we invent and continually adapt to out changing realities(e.g. Bijker, 1995). Humans are shaped by their interactions with machines just as machines evolve and change in response to their use by humans.(Lemke, 1993)

その思考を梃子としてネイティブ・アメリカン女性作家 シルコウ(Leslie Marmon Silko)の小説Ceremony(セレモニー)を紹介し、「物語がなければ何もないのと同じこと」を引用、シルコウは、アイデンティティを支えるのは民族の神話・伝説・文学などに横溢する「物語」であるという認識をもつと紹介する。

喜納育江は同じ作品を分析し、「身体が祭りや儀式を育む場所であるとともに、物語はおなかの中、すなわち、人の身体の中に「人の命」と共に宿りつつ、成長していくものと表現されている。身体が物語そのものである」と解釈し、(「アメリカ先住民の身体と物語」レスリー・マーモン・シルコウの『儀式』『ネイティブ・アメリカンの文学』ミネルヴァ書房2002年)さらにネイティブ・アメリカンの歴史的身体、混血性と文化的身体、地球的身体、越境する身体、土着と地球的ビジョンなどを展開、身体性と物語の関係を強調している。

(唯一、琉球大でジェンダー・フェミニズムに関するアカデミックな研究をされているのが喜納氏で、たまたま氏と一対一の授業でシルコーのCeremonyの小説と批評を読んだばかりである。)
  
次に勝方=稲福は近代合理主義の弊害は、社会的マイノリティ-の排除、抑圧となってあらわれると論を転嫁し、近代国家の成立は異質なものを内部に取り込んで均質化していくプロセス、つまり収斂理論でくくられるとする。そこで沖縄の近代以降の状況を二項対立的に以下のように取り扱う。
⇒明治近代国家の同化政策化においたてられた沖縄が経験する二項対立
--同化[中心への歩み寄り] 異化(周縁化)
  同質論          異質論
  親日派(開化党)     親清派(頑固党)琉球処分
  復帰論          独立論 1972年  ⇒誤り(復帰86%、独立2%、
                     信託統治7%、1951、青年連合会調査)
  西欧的合理主義      前近代的(伝統的儀礼、民族性)
  [近代化への王道]    針突[大人への装いの一部]?諸説あり
               異態習俗――差別、揶揄
               神歌やおもろや琉歌のうちなー口ーー下品な「方言」?
               (韻文と口語との違いがある)

*対立は相互補完関係で、対立そのものがアイデンティティー構築の場となって抵抗の拠点を形成してきたと結論づける。

以上の導入の後で勝方は、伊波普猷の『沖縄女性史』(大正8年)を紹介するが、村落共同体の祭祀行事を取り扱う神女、沖縄女性の霊的優位性「姉妹信仰」姉妹(うない、おなり)は兄弟の守り神の位置づけであったことを「沖縄の女性はすべてうない神である」[宮城栄昌]の説で補強し、さらに折口信夫の「うない神」を11行も引用する。

それから、「うない神物語」の現代的効果に入る。ただここでは、いきなり折口から時間的に飛んで1980年代の第二波女性解放運動のうねりとして「うない」が女性たちを勇気づける言説/物語として脚光を浴びるようになったと紹介する。アメリカの白人中産階級の解放運動に対して黒人女性たちが自らのエスニシティーに誇りを持ちウ―マニズムとして一線を画した時だった。

1985年の世界女性会議[ナイロビ会議]は第三社会の女性たちに独自のジェンダーの在り方や、歴史や民族や文化や階級に基づいた解放の道筋を模索しはじめた時代だった。
ナイロビの風を受けた女たちが「沖縄」に本質主義的にこだわって姉妹という表現を再開する。うないというエスニシティーとフェミニズムの出逢いが「抵抗の拠点としての戦略的本質主義」(ガヤトリ・スピヴァック)となる。

(ナイロビに参加した女性たちの最大の関心が売買春だったことを資料で紹介する。)
スピヴァックは『ポスト植民地主義の思想』(2005年、渓流社)、『サバルタンの歴史――インド史の脱構築』(1998年、岩波書店)の著者。インド東部ベンガル出身。1942年2月24日生、アメリカの文芸評論家、理論家、比較文学者、コロンビア大学教授。

2「うないフェスティバル」--フェミニズムと姉妹信仰との出会い

「国連婦人年の10年」最終年の1985年、第三回世界女性会議ナイロビ大会に参加した女性たちの帰国報告会「女から女たちへ」が開かれ、そこから「うないフェスティバル」は発案された。初回の1984年から2007年で23回を迎えた。フェスティバルHPには「古代うないは、女姉妹を意味し、家庭にあってはうない神、共同体においては神女となって沖縄社会を司ってきた」と表示されている。最初ラジオ沖縄から取材費として拠出された100万円と那覇市からの拠出金70万円を出し、立ち上げの人数は源啓美や高里鈴代を含めて6人。最初の10年は那覇市とラジオ沖縄と実行委員会の三者が主催、その後那覇市と沖縄タイムス社に引き継がれ、現在は那覇市が実行員会と共催し、なは女性センターが会場場所を提供している。1996年の沖縄タイムスの社説には運動の主体がフェミニズムの影響を受けた女性たちと」明記されている。

うないの一連のネットワークから4年間うないフェスティバル座長をつとめた高里鈴代が那覇市議になる。1995年のアメリカ海兵隊員による少女暴行事件後に「基地・軍隊を許さない行動する女性たちの会」結成。同年の北京女性会議で「トートーメー問題」のワークショップがNHKスペシャルで取り上げられた。中央の政党関係と異なる共闘関係が見られる。[2000年11月、2004年10月、那覇市長選で敗退]

*うないの功罪:一方でうないフェスティバルの代表がこぞって辻のジュリ馬祭りを疎外するという暴挙に出た。実質的におよそ10年間、那覇市からの祭り助成を削除し、伝統芸・祭りを封じ込めた。

⇒モダニズムの弊害「80年沖縄女の会」の報告書の紹介
     国際婦人年世界会議NGOワークショップ1985.7.10~7.20
1986年、うないフェスティバルのワークショップで取り上げられ、「女性が売買された歴史を持つ祭りに公の機関である那覇市が手を貸すのはおかしい」と87年からジュリ馬祭から那覇旧二十日正月祭りへ名称を変え、88年から中止、99年に復活した。塩月亮子は『沖縄における尾類馬行列の歴史社会学的考察――<都市祝祭とセクシュアリティー>研究に向けてーの論文の中で、「祭りの存続は公娼性制度の復活となる」という考えは極めて性を特化したモダンな発想で、フーコーのいうミクロな権力の行使であると言及する。一方「ジュリ馬行列挙行は、伝統保存、市民融合、地域活性化になるとの発想」はポストモダンだと位置づける。反対派の代表は高里、宮城晴美、糸数慶子、など反戦平和の代表の顔が並ぶ。

3.「 杣山」訴訟の「人権を考えるウナイの会」

「うない」という言説を象徴的に使っている他の例として金武町の杣山訴訟の女性原告団「人権を考えるウナイの会」の裁判闘争について報告する。近代法のジェンダー・バイアスに対抗するために姉妹神にあやかった女性たちの決意が伺えると勝方=稲福。

「 杣山」訴訟のいきさつは本文参照の事、ここでは省略:ネットでは最高裁の判決全文が読める。

勝方=稲福の視点は、「最高裁判決は、女性の権利回復という視点からは確かに一歩前進である。しかし「会員=世帯主」を容認した判断は、慣習的に男性を世帯主に据える社会状況では2006年再改正の『男女機会雇用機会均等法』の眼目となっている「関節差別」に相当する。共有地(コモンズ)と、女性との伝統的な結びつきとコモンズの近代的開発の弊害が指摘されて、ジェンダーの視点を入れる事が急務。女性の視点を排除するどのような間接的差別も許されるべきではない時代状況である。とりわけ、戦前戦中を通して家族を養うために杣山の自然を守り、相互依存の関係を築いてきた女性たちには、軍用地に対する批判的な視点が芽生えている。」

⇒どころがその根拠が示されない。個人の感性レベルである。

「さらにその批判的視点を体現していることを、姉妹神の名を敢えて掲げることによって原告側の女性たちは意図的に表象しているように思われる。土地と結びついている愚直なまでの民間信仰こそが、自然破壊と対峙する唯一の効果的なイデオロギーとなっているという深い認識が、「ウナイ」という名称には込められているからである。」

彼女はそう結論づけるが、告訴した26人の女性たちの信仰やイデオロギーはこの裁判の報告からははっきり見えてこない。きわめて主観的な論の展開だと言えよう。

4.近代的土地制度を拒否した久高島の神女たち

土地を近代法から護る「うない神」の例は実は久高島の土地共有制にも見る事ができる。この章では明治政府が、アメリ合州国がドーズ一般土地割当法[1887年]を挙行してアメリカ・インディアンへの強制的な土地移動禁止と不毛地の『個人割当』を強制したのに倣って1899(明治32)年、「北海道旧土人保護法」を制定しアイヌ民族から強制的に土地収奪を決行し、わずかな個人割当を行ったと、比較の視点を提示する。北海道旧土人保護法は1997年、「アイヌ文化振興法成立」で廃止され、アイヌの先住民権に関しては2008年、6月6日、初の国会決議がなされている。

沖縄県土地整理法が沖縄でも1899年施行された。土地の共有から個人所有への切り替えがなされた。

神の島久高島は例外だった。おそらく伊波普猷[『沖縄女性史』平凡社ライブラリー版、2000年]の指摘からヒントを得て勝方は著書「おきなわ女性学事始」でも同じ論を展開している。(確か新報文化欄でも)。久高のこの事例に関しては、他の類似する地域と表象との比較で検証する予定で、詳細はここでは割愛したい。

久高島では男はウミンチュ[海人]として出魚し、女はカミンチュ(神女)として祭祀権を握り、農業を営んで村の生活を支えていた。琉球王の初穂儀礼や聞得大君の「お新下り」儀礼も久高島を中心に執り行われてきただけに女性たちは神女としての矜持があった。王府時代の村落内行政は漁に出たままの男に代わって神女たちに担われていた。村吟味も女性たちが取り仕切った。

結論⇒久高島に置ける土地の共有制――地割制は、島の伝統。1972年後の本土資本にも土地乱開発からも無縁だった。他の例は竹富島(土地の条例)。反例が西表島の大型リゾートホテルの侵入があった、と勝方=稲福論文。

⇒「エコ・ツーリズムへのパラダイム展開に対応できるのは、民間信仰に支えられて土地共有制を守った島だけかもしれない」と勝方=稲福は結論とする。しかしこのエコ・ツーリズムの中身への検証はされないままに民間信仰を持ち上げている。

5.神話化されたジェンダーを歴史化する

「明治政府の近代化政策⇒西欧化の流れの中で近代西欧の男性原理や女性原理にのっとって二元論的にイメージされる」と勝方=稲福は論じるが、たとえばジョン・トムリンソンは著書『グローバリゼーション』(2002年、青土社)の中で「現在日本が経験している文化グローバリゼーションを理解するための鍵は明治時代以降独自の非西洋的な近代性を築きあげていった日本の動きのより深い部分にあると言及する。力強いナショナリズム的文化的アイデンティティーの伝統と高度にハイブリッド化された変幻極まりないメディアによる国際的な大衆文化との間の緊張関係を指摘する。つまり日本の近代化そのものも西欧を志向しながらまた独自の歴史的経緯をもっていることは自明だろう。

勝方=稲福は次に男女の二項対立を語る。

<二項対立の男女>
⇒公的領域―私的領域、切断と屹立の象徴―包摂、強さ・逞しさー柔らかさ
「近代的合理的人間」⇒規格品として還元され、均一化されたもの、ジェンダーマイノリティーもエスニック・マイノリティーも包摂される。エスニック・マジョリティー/成人男性・健常者を想定したもの。

日本社会の誤謬⇒①男は男らしく、女は女らしく⇒神話化
        ②単一民族
沖縄⇒民族宗教における女性祭祀者の優位性が現在でも残る世界的にも珍しい地域である。
同時に儒教的な男系原理が強い地域。その併存や矛盾が独自のジェンダー観を形成している。一神教の男性原理によって対抗的に生み出された西欧的単一ジェンダーの概念が沖縄で通用しないあるいは馴染まないシステムである。と言いきってしまう。

この言い切りは乱暴な論理である。たとえば84年に発足した「うないフェスティバル」を先導した面々の思考が西欧流のモダニズムに依拠していることをどう見るのだろうか?沖縄の「うない信仰」なり「姉妹性」に注目する限り、戦前の辻のじゅりたちの「うないの連帯」に全くふれず、彼女たちが担った伝統芸を切り捨てるモダニストの反戦平和論者たちは琉球・沖縄の歴史や文化をしっかり見据える目線を持たなかったのである。それに対して勝方=稲福は言及する素地をもたないばかりが、上澄みの運動形態なり現象に拘泥しているように見える。そもそも「うない信仰」は信仰としてどれほど成立しているのだろうか?詳細を知りたい。名前だけが踊っていないだろうか?また一応日本国の憲法の保護の下にあるとされる(実際は核付き軍事基地沖縄)沖縄人が少なくとも戦後の日本国憲法や民法の男女平等の条文の基に市民生活が維持されているのもその通りである。

<結論>
「ジェンダーは一つではない。反―収斂理論である」と、結論づけるがその具体性はない。
「周縁からの眼差しとも言える。エスニシティーによるジェンダーの多様性/多層性、ジェンダー神話の読み替えによって、「うない神」もまた沖縄女性のアイデンティティーに甦ることになる」と、とても刺激的な発言である。うないのことばは麗しい。

ところで、収斂理論とは⇒人間の諸社会は近代以前においては相互に異質であっても近代化の過程に入ると互いに類似してきて、一つの共通したコースを走り、そして究極的には同質の社会に収斂する。対して、それぞれの文化や社会はそれ独自の個性を持ち、その進化や発展においても独自の道を歩むといいうことを強調する。拡散理論(divergence theory)という。

ここまで見てきて、同じく勝方=稲福恵子が『国際沖縄研究』創刊号に寄せた論稿「“Unaiism”を拓く組躍『執心鐘入』の大団円」(2010、PP111-122)の問題も含め、たとえば彼女が宿の女と若松の問答の部分を「唱え」ではなく「つらね」と表記するような基本的なミスも含め、両論稿は、ディテールにアラが見えすぎる。早稲田沖縄文化研究所所長としての彼女の研究者としてのauthenticityが問われるのではないだろうか?昨今「執心鐘入」を素材にして同じような論稿を新聞を含め展開しているが、彼女の視点の置きどころは実は伊波普猷の『沖縄女性史』を現代のジャーナリスティックな視点で現象を網羅して論を開示している傾向が見られる。『執心鐘入』論も斬新に見えて実は問題含みだと言えよう。ここで詳細は割愛するが、鬼の概念にも注目してほしい。鬼は、英雄的な存在だった。いつ鬼女が登場してきたか?また佐藤太圭子の女だけの『執心鐘入』の演出手法をおほめになっているのはいいが、別にそのコンセプトは彼女独自の発想ではないと付け加えておきたい。つまりすでに解説されたコンセプトを実演の場で実践してみせたのである。大城学氏など10年も前に宿の女が善魂から悪魂に変化し、僧侶の仏法の唱えによって元の善魂に戻ると話している。その他、この作品解釈に関しては改めて「組踊の系譜」の中で取り上げてみたい。

ところで、自分自身の研究論文なら丁寧に文章化することに意味を見出すが、この高良研究室では修士の学生が大学人の書いた論文を丁寧に要約し、それに参考文献やコメント、問題提起などつけて発表レジメを作る。それは素晴らしい。慣れていない者のこの発表原稿は形式からずれて迷惑をおかけしたようである。I’m sorry! 修士の学生たちは卒論からよく鍛えられていて感心する。

高良氏のコメントが興味深かった!彼は、勝方=稲福は戦略として、意図的に撹乱するような論の展開をしているのではないか、と好意的だった。うないイズムを大胆に展開するために細かいミスは目配りしない、という点を含め、それを良しとするのは、多少違和感を持った。戦略的仕掛けという指摘はさすがだと思った。

ただ、戦略的撹乱にしてはアラが見えすぎないだろうか?コンセプトの意図するところ、「うないの物語」を信仰もからめて沖縄女のジェンダー・フェミニズムの運動、あるいは知的枠組みを作るという目的意識はいいが、そのとらえ方にある種の現象を追った軽さを感じるのはなぜだろう?来週(6月24日)、さらに論争が続けられる。それは楽しみ!

高良倉吉氏はしかし的確に論稿全体の構成や中身について言及されている。その学生指導と知見の深さには毎回触発されている。(謝)

<参考文献>

勝方=稲福恵子『おきなわ女性学事始』(2006年、新宿書房)
伊波普猷『沖縄女性史』平凡社ライブラリー(2000年、平凡社)
『沖縄女性物語』(1969年、沖縄風土記社)
西村頼男、喜納育江編著『ネイティヴ・アメリカンの文学』(2002年、ミネルタ書房)
西川潤、松島泰勝、本浜秀彦編『島嶼沖縄の内発的発展』(2010年、藤原書店)
その他80年女性たちの会のナイロビ報告書など

注:実は勝方=稲福論稿の中身とこちらのコメントとの違いは実際の原稿ではもう少し明確なのだが、ここでは下線をひくこともできない。技術の問題もあろうかと思う。それで読みづらい点などご容赦を!異論・反論は歓迎です!よろしく!

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