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「道半ば」とは思わないだろう。

もしも。
もしも、何かしらの事故で今、突然命を落とすことになったとしたら、私はそのとき「悔しい」と思うだろうか。


ふと、私は、
「思わないかもしれないな」と思った。

どうしてこう思うのだろう。
もちろん、これからも行きたいところ、やってみたいことは山ほどあるし、子供の成長は楽しみだし、未来は明るいに決まっていると漠然と信じてもいる。
けれど、なんとなく「悔しい」とは違うのだ。

ここでいう「悔しい」は、「道半ば感」を表しているのではないかと思う。伏線を張ってきて回収するような人生だと、回収する前に命を落とせば、そりゃあ「悔しさ」は計り知れないだろうと思う。
でも私は、未来の自分のために今を我慢するようなことはしていないし、そういう先々のために行動することをずっと苦手に感じてきた。

私は『目標』で生きるということを苦手としてきた。

叶えたい何かに向かうとき、『目標型』と『展開型』があると読んだことがある。『展開型』とは、出来事の流れに合わせて、または人のつながりに合わせて願望を達成していくタイプのようだが、まさに、そっちのタイプなんだろうと思う。

そのとき、そのとき、今を生きている。

もちろん、ずっと生きたいに決まってますけどね。

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写真は、小学校のグラウンドでの
スキー授業の風景です。

いつも読んでいただきありがとうございます。