「最適解」よりも「最低限」を選んで生きてきた。
なんだか気分がすぐれない。
仕事に追われてはいるものの、自分のペースで、出社したり、家にこもって集中的に仕事を片づけたりと、好き放題に切替えているし、今は、仕事自体も遅滞ない状態になっている。
日ハム⚾が勝てないからだろうか。こないだなんかはノーヒットノーランされちゃって。交流戦に入ってからは負けてばかり。まぁ、そりゃあ勝てばスカッとするとはおもうけど、そこまで私の気分を左右するものでもないか。気分がすぐれないのは、このせいではない。
なんとなく、仕事でのモヤモヤが原因のような気はしている。私の仕事は、終わりが見えず、答えも無いものばかり。自分で、終わりも答えも決めねばならない。
じゃあ、どこをゴールに設定するか、と考えたとき「最適解」と「最低限」の選択肢があったなら、どちらかというと私は「最低限」ばかりを選んできた。
それにより、自分の「時間」と「心の余裕」を生み出してきたように思う。
「最低限」を選んだとしても、あとでそれを「最適解」にすればよいと思いながら生きてきた。
でもね。今、なんとなく、目の前を「最適解」たちが漂っている。
時間をかけてでも「最適解」の方に向き合うときのような気がしている。
「最低限」ばかりじゃなくてもね、たまにはガッツリ、「最適解」にも向き合ってみようかな。
そしたら、気分が晴れてくるような気がする。
いつも読んでいただきありがとうございます。