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二年経って、あの曲がり角に母がいたことに気がついた。

首にはコルセットを巻き、左腕がダランと垂れ下がった状態で仕事復帰となったあの日から、二年が経ちました。

今は、完全に回復し、思い出すこともめっきり減りましたが、今日、過去のnoteを振り返っていたら、こんなnoteを見つけました。

「会社に行かないという選択肢は無いのか」

「働かないと、本当にダメなのか」

私は、そんな自問自答を繰り広げていました。仕事復帰をしたものの、長期離脱で私の存在意義が薄れたと感じたことと身体の不自由を抱えたことで、貧弱な思考しか出来なくなっていたのかもしれません。「どっちを選んだっていいはずだから」なんて投稿をして、現実から逃げ出そうとしていただけのようにも感じます。

それでも私はその後、働く上での喜びや楽しさを思い出しながら、少しずつ自信を取り戻して元の道を選ぶことになりました。

私が、勢いで会社を辞めてしまいそうだったあの状況から、どうして踏みとどまれたのか。もちろん家族や同僚の支え、このnoteの中でいただいた励ましによって、考え抜いて答えにたどり着けたのだと思います。

でも、それだけではありませんでした。noteを振り返って気付きました。悶々としていた私の目線をサッと逸らしてくれたのは、母でした。

直接的には「母」ではないかもしれませんが、この投稿の翌日にこれは起こりました。

母の余命宣告。

それどころでは無くなりました。

自分のリハビリと、母の見舞い。二つの病院を行き来する期間が一ヶ月半ほどあり、母はいなくなりました。葬儀には親戚が大勢駆けつけてくれました。私は喪主として、家の代表として葬儀を務めました。落ち着いたころ、私の身体の不自由もずいぶんと回復し、働くことへの迷いは消えていました。

二年経ち、あの曲がり角を思い返してみると、ひっそりと微笑む母が見えました。



noteは、私が綴ったものですが、私には気づいていなかった、そのときの匂いや、情景を私に届けてくれます。noteを続けてきて、本当に良かったと思う瞬間です。

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