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感情労働という視点

みなさんは「感情労働」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
肉体労働・頭脳労働と並べられる労働の類型です。
様々な定義があるようですが、「顧客に特定の精神状態を創り出すために、自分の感情を誘発または抑制することを職務にするもの」と昔の偉い人は言いました。

小売業などのサービス業や、コールセンター、ホストなどの風俗業者、医療者、そして私のような福祉業に携わる人間も、この類型の要素が多く該当するかと思います。

今回はこの感情労働という視点から、仕事中の感情について自分の経験や、意識していることを取り上げます。また、危険性や自分自身の対処法もまとめてみます。


仕事中の感情の動き

冒頭の定義に則して自分自身の仕事を考えてみます。
「顧客に特定の精神状態を創るために、自分の感情をコントロールする」と読み解くと、自分が顧客(=相談者)に与えたいと思っている精神状態は恐らく、「安心」や「(相談員への)信頼」になると思います。
聞いてくれる、とか、意見をくれるという「安心」感がなければ相談は進まず、一定の信頼感がなければ助言を聞き入れてもらえない(=相談の意味がない)からです。

では、これらを感じてもらうために意識している感情のコントロールというと、「相手の感情と同じ方向性に感情を動かしつつ、一方で冷静に事実を整理していく」ということでしょうか。うーん、そういうことか?
感情という内面は言語化しにくいので行動に置き換えてみると・・・

たとえば「肯定的な頷き、やわらかい笑顔やまなざし」とか「相手の感情の繰り返し(辛かったんです、に対して辛かったんですねと返すような)」とか、「相手が笑ったら笑う、悲しそうなら神妙な表情をする」などでしょうか。
うーん、やはりこうして言葉にすると安っぽい。

他には「相手が刺激を受けやすい人ならなるべく笑わず、驚かず、平坦な反応で相槌を打つ」こともあるし、どんなに突拍子もないことでもとりあえず否定せずに「そうだんんですね」と興味ありげに聞いたり、または興味なさそうに聞いたり。

相手の話の内容を聞き取るのと同じくらい、自分の反応にも目を向けようと意識をしています。もちろん、全てを振り返りながら聞き取ることはできていないでしょうが。
例えば後から同僚に私が「なぜあなたあの時笑ったの?」と聞かれて、その意味や意図を答えられることがいわゆる「相談技術」であり、バイスティックの「統制された情緒的関与」というものだと理解しています。

相談場面での私の全ての行動に意図を持たせることができれば、それってものすごいことなのでは、と思っています。実現には程遠いですね。
一方で、そんなことができたとして、それが本当に信頼関係に繋がるのかな、とも思います。人間的じゃなくて気持ち悪いな、とも。上っ面ではない言葉が響くのは本当のことなので。
でも、本当に芯から相手のことを心配したり、肯定したりするのは難しいことがある。それでも業務で必要な表出なので、「意図的に感情を誘発または抑制」するわけですね。

感情労働の危険性

本来の感情ではない感情を表出することもあります。なので恐らく、ものすごく疲れるのかもしれません。
また、苦労して作った感情を相手に伝えても、それが伝わらないこともあります。その時の徒労感たるや。「そっちの意味で受け取るんかーい」ということも少なくありません。まあこちらの実力不足や、病状からの影響もあるのでしょうがない。感情って見えないものですからね。

自分の本来の感情ではないので、自分自身の感情に余裕がないとコントロールは難しい。前日の夜に奥さんとひと悶着あった日はたまらないですね。仕事になればある程度スイッチが入りますが、それでも感情が重い感覚はあります。
特に私の場合は、様々な場面で感情を抑制することは得意な傾向にある(仕事上ですが)ので、相手が辛いと言う話を聞いていても、余裕をもって聞いていられます。理不尽に怒りを向けられた時も、真顔で聞いてはいますが、内心では若干面白がっている不謹慎な面もあります。
ですが、感情の誘発は苦手傾向にあります。特に相手が悲しんでいる時に慰めたり、寄り添うということが苦手なのかも。まあ相手との関係性にもよりますが。それよりも、なぜそういう状況になったのかとか、じゃあ次に何をするのかを考えているタイプです。そうする前に共感してあげた方が話が入っていきやすいことはわかっているつもりですが、なかなか難しい。「それは大変でしたね。もう大丈夫ですよ」みたいなことを言っている自分がどこかうすら寒くすら感じてしまう始末です。

そして作ったはずの感情に引きずられてしまわないことも大事だと思います。
心理学でいわれる「行動が先か、感情が先か」のようなもの。
「人は楽しいから笑うのか」もしくは「人は笑うから楽しいのか」というやつです。
相手のために意図的に怒った表出(行動が先)をした時に、本来の感情は異なるのにイライラとしてくる(感情が後)といったことが起こることは0ではありません。
何事もほどほどに。時と場合によってですが、相手に合わせて正しく感情を表出しなければ、と常に肩に力を入れる必要はないのかもしれません。そもそもその場の「正しい感情」なんてものがあるのかもわかりませんが。

これらの過度な感情労働の果てが、バーンアウトややりがい搾取なのかもしれないですね。

自分自身の対処法

私自身は「感情のコントロール」をまあ可能な範囲で意識はしますが、実行するかを選択することがままあります。
「うーん、ここは笑っといた方がいいな。でもちょっと今日は自分の心が重いな。よしそんな重要な場面じゃなし、笑わんとこ!」のような(酷い)。
一緒に面談に入っている同僚に任せることもあります(なお酷い)。

つまりメリハリをつけることですね(正当化)。

そして、素の感情をたまには素直に出すことでしょうか。
相手の話に疑問を感じた時などは、素直に「なぜ?」と聞きます。相手が笑って話していても、一般的には面白くもないことには特に笑わないこともあります。
そこに対して相手が「なぜ笑わないの?」と聞いてくるのであれば、自分の考えを伝えるでしょう。
場合によっては、相手に合わせ過ぎもよくないのです。相手がこちらに感じてほしい感情へ誘導していたとして、それに気付いたとして、あえて乗らないこともある。
それが結果として相手に重要な気付きをもたらす可能性もあります。

相談に来る方の中には、病状や経験不足などの本人のせいではない理由から、いわゆる「一般的」なところから外れた感覚の人もいます。
その人にとって、相談場面で気づいてもらうことがメリットになるのであれば、そのように対応します。たとえ相手が傷ついたり、恥ずかしい思いをしたり、こちらが気まずい思いをしたりしても、必要性に応じてはそうします。

とまあ、自分の中では必要性はわかっているけど、それは自分のできる範囲で取り組もう、と線を引いているのです。
これがいいのかはわかりませんが、長くこの仕事をしていきたいと思っているので、相手に失礼にならない範囲で私は素の感情を表出することがあります。それがいい意味で人間的な温かさになると信じています(やはり正当化では?)。

後は家に帰ったらもう素も素。やっぱり公私の区別をしっかりつけること。安心して「自分」を出せる場所を確保することは重要です。
このnoteにもそういった役割を持たせています。

まとめ

相手に特定の精神状態を創り出す。そのための感情の抑制または誘発。それが感情労働です。
私自身もその要素の強い仕事に携わっているつもりです。
仕事上での自分の感情の動きには、相手の感情の動きと同じくらい注意しているつもりです。その場その場の感情の表出には意味がある。だって仕事だから。と考えています。

一方でそんなに毎回、自分の感情を全て操作できるわけではありません。人間だもの。そんなことを求められるのであれば、機械にでもやらせておけばよいのです。
そこに向き合いすぎると、自分の心が死んでしまいます。自分の心を守ることも、この仕事においては重要です。あなたにしか感じられないことがある。あなたの心はひとつきりなので。それが損なわれるのは、誰かにとって重大な損失です。

重要なのはメリハリでしょう。その場その場で、意図的な感情表出の必要性を判断し、実行する。「ここでは感情コントロールはしない」という選択肢を残しておくことです。
なにより、相談者と話していて、本当に悲しいことも、本当にうれしいこともままあります。その本当の部分のやり取りを通じて、信頼関係ができていく。それがこの仕事の醍醐味だし、そういったことを重要視するからこそ、この仕事を選んだ人は少なくないでしょう。
メリハリのためにもプライベートは大切に。なあ我、趣味の時間、減っていない?もっとゲームをしようぜ。ダークファンタジーな世界で命の取り合いをしようぜ。何度死んでもあきらめずにボスを倒そうぜ。

はい。
感情労働。今回はいくつかの具体的な業種を挙げたけれど、おそらくどの仕事でも同僚上司、人と人の間ではこのスキルは必須でしょう。
ざっとググると何やら辛さにスポットが当たっているように思うけれど。自分はあらゆる仕事のこの側面に魅力も感じているところです。

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