ワンストップサービスと私の遠い目標
ワンストップサービスや総合相談窓口という言葉がよく聞かれるようになってきました。
身近な市町でも、市役所などの一角に設置されるようになってきたのではないでしょうか。
私が仕事で関わる中でも、このような窓口は増えてきたな、という印象です。その窓口に行けば、様々なサービスへ案内される、手続きを一か所で済ませることができるなど、相談者としては手間が省けるメリットがあります。
厚労省が進めている「重層的支援体制整備事業」もこういったワンストップサービスの実施を実現するものです。いわゆる障害、高齢、児童、困窮などの相談者の属性に関わらず、「断らずに相談を受け止める」事業ですね。
重要なのは、その窓口だけでの対応のみを求めるものではなく、適宜必要な支援機関に支援を繋いでいくのも、この窓口の役割とされています。
つまり、上記のような「一つの窓口に行けばなんでも解決」というわけではなく、他機関へ間断なく繋ぐ支援があることが想定されているわけです。
私の所属している機関も、いわゆる「仕事と生活を一体で支援する」と謳われている窓口になります。
しかし実際のところは少し異なっている部分があります。
今回は私が日々働いている機関の中での「ワンストップ」の実態と、必要に感じているスキル、最終的な自分自身の目標や夢?のようなことをまとめたいと思います。
ナカポツにおける「仕事と生活の一体的な支援」について
まず私の働いているナカポツ(過去にこちらの記事でざっくりと説明しています)は、厚労省から「就業面および生活面における一体的な支援をおこない、障害者の雇用促進及び安定を図る~」と説明されています。
つまり、大きな目的は障害のある方が就職して、安定して働き続けることを目的としているわけですが、そのためには働く相談だけでなく、生活に関わる相談も受けないと、就職には繋がっていかないよね、という話。
実際に多くの方が生活上の課題や悩みを抱えていて、働く前にそれを何とかしないとねということが少なくありません。
なので、仕事のことも生活のことも相談に乗れる窓口を作る必要があったわけです。
では、仕事の相談、生活の相談それぞれどのような役割を求められているのかというと、ざっくり以下のように厚労省からは示されています。
仕事面については、就職準備に向けた支援、就職活動の支援、職場定着に向けた支援など。
生活面については、生活習慣の形成や健康管理、金銭管理などに対する助言、住居、年金、余暇活動などの生活設計に関する助言など。
そして双方とも関係機関との連絡調整。
仕事面については「支援」、生活面については「助言」と記載されているのです。
この違いが私にはいまいちわからなかったわけで。仕事を始めた当初は、ナカポツはどこまで支援するんだ?相談支援事業所との違いってなんだ?と混乱したものです。
今も線引きは難しく、支援の中で「ここまでやるべき?」と迷うことは少なくありません。これは私の経験不足もありますが、今や福祉サービスなどの社会資源が多くなったこと、そしてその量は地域によって違うこと、ケースによって対応が異なるためなど、様々迷うポイントがあるからです。
しかし、原則として私が理解しているのは「餅は餅屋へ」という視点。
厚労省からは「仕事面は支援をしなさい」「生活面は助言をしなさい」と言われているので、就職や職場定着に関するものは自分たちが主で動き、生活に関するものは他機関にお願いしたり、自分たちが生活上で学んでいること、知っていることを伝えるに留めたりしています。
つまり、「仕事と生活を一体的に~」と謳っているけれど、主に仕事に関することを直接おこない、それ以外は他機関の窓口を紹介したり、一緒に窓口を訪問してその後は担当の支援者に任せ、情報共有をおこなう体制を作ったりしているのが現状です。
ナカポツに相談すれば「生活から仕事まで全部みてくれる」わけではないのです。
ただし、先ほども述べた通り、地域の社会資源の量やバランスでナカポツの動きは変わるので、全国のナカポツ全部がこのような動きではありません。私の所属先が、という話。
ただ、「餅は餅屋へ」の考え方は共通しているかな、と思います。
ワンストップを実現する上でのスキル
ひとつは相手のニーズを分解する力だと思います。私の仕事の中から例を挙げるとすれば、以下のようになります。
本人は大抵の場合、「ナカポツ=仕事の相談」と思って訪ねてきます(まあ電話である程度聞き取るのでそりゃそうだ)。なので、「働きたい」と言うわけです。
でも、相談に来るくらいなので、大抵の場合は「働けない何か」や「働く動機」があります。
働けない理由を聞くと、例えば「体力が足りない」と答えたとします。すぐに「じゃあ運動して体力付けましょう!」とはならないわけです(運動の体力と働く体力はそもそも違いますが)。
なぜそう感じたのか、どのような場面で、どのような心当たりが・・・と聞いていきます。そうすると、「以前の職場ではフルタイムで働いていたけれど、子どもの世話があって帰ってから育児に追われていた」などと出てきます。さらにお子さんの年齢や、家族との役割分担、どのような世話なのか聞いていくと、「母子家庭で子どもには障害があって、小学生です。両親と同居だけど、父は最近認知症かもしれなくて・・・」などのように家庭全体の事情も見えてきそうです。さらに、その上でどのように働きたいのか、収入はどれだけ必要なのか、病状はどうなのか・・・と聞いていきます。
このように本人が課題としている部分、それをどのような言葉で表現しているのかを詳しく聞いていき、具体的なサービスや助言、提案をイメージできるところまで落とし込んでいく作業を、ニーズの分解と表現しました。
必要なスキルの2つめは、ニーズと対応を結びつける力です。いわゆるプランニングというやつか。
ここにはナカポツの縦割り行政的な範疇である「障害福祉」と「雇用労働」の範疇外のことも含んで、一定の知識が必要になると思います。これはあらゆるフォーマル、インフォーマルを問わず。支援員としてだけでなく、自分自身の人生経験からも出力できることだと思います。
こここそがワンストップを実現する上で難しいことでしょうか。上の例でこのスキルを表してみると、以下のようになります。
最終的には「体力が足りない=体力をどうにかしよう」ではなく、「どうやら家族に必要な支援がありそうだ。本人だけの収入では難しそうだ・・・」とわかり、「家族へそれぞれどのような支援サービスがあるか各分野の相談員に確認する」とか「サービス体制が整うまでの収入保障をどうするか」とか「サービスがない部分の課題を本人が補填する必要性の有無の整理」や「その上で働くという選択肢は可能か」など、検討する部分が出てくるわけです。
具体的には、高齢の両親に対しては地域包括支援センター、子どもには児童系の扱いのある相談支援事業、収入保障は失業給付か困窮系の相談、もしくは生活保護の可能性、その上で働くかは本人の主治医・・・という相談または確認先でしょうか。
これらは短絡的かもしれませんね。実際にはもう少し丁寧に聞き取るとか、家庭でどこまで話をしているかとか、本人の考え方はどうかとか、諸々確認はしていきます。冒頭にあげた「体力づくりのための運動」も提案する可能性は0じゃない・・・でしょうか?この状況の人にさらに「運動しろ」は酷ですよね。休め休め。
個人的にはよく聞き、よく調べ、わかりやすく伝えること、それらの経験を蓄積し、地域の社会資源と顔の見える関係(これ系のことはあの人に聞けばだいたい答えてくれるだろという感覚)を持つことがワンストップを実現する上で重要になると考えています。
うーん、当たり前なことか。
私の遠い遠い目標
「あなたはスペシャリストか、ジェネラリストか」と問われることがあるかもしれません。
昨今、私のようなものを含めたソーシャルワーカーは、ジェネラリストを求められる傾向があるのでしょうか。
語弊があるかもしれませんが、「浅く広くものを知っている人」だと認識しています。
私は性格的にはスペシャリスト系だと思っています。いや、スペシャリストだとは言っていませんよ。ひとつのことを極めたい、と思っているタイプ。悪く言えばなんでもできるような器用さもキャパもないのです。
でも、理想はジェネラリストでありたいと思っています。「この人に聞けばだいたいわかる」と思われるのってすごい。すごくない?
全てに答える、というよりは「あーそれはここに聞けばいいよ」みたいな程度になれればいいな。「あの人はよーく話を聞いてくれて、適切に道案内してくれる」と言われたらとてもうれしい。かなり難しいことだと思いますが。
そしていつか、「専属相談員」みたいに働けたら楽しいかも、と思っている。
担当している人のいろいろな相談に乗って、あっちこっちの窓口についていって、手続きを一緒にして、先々の支援者とも意見交換をして。
どんな事業だこれ。あるのか?相談支援員?いやイメージはもっとこう、コンシェルジュみたいなやつ。もちろんばっちり有料で。サブスクみたいな。でも月何回でも相談できる、ってすると厳しそう。そもそも本来適切な窓口に行けば無料で相談を受けられるわけで。いや、なんでも頼めばやってくれる人なんだから楽じゃない?そこにお金を払う価値を見出す人はいないだろうか?でも何でも屋って言うとサービスない場合は自分でやるのか。うーん、成立しなさそう。
例えばおじいさんになって一線を退いた時に、どこまでのジェネラリストになれているだろうか。多くない人数の後見人でもやって、評判の後見人になれたらうれしいな。その時は現場の支援者に嫌われそうだ。口出しはしないでおきたいものです。
まとめ
相談事業に関わっていれば、様々な相談が持ち掛けられるもの。それは例え、わかりやすく「○○相談(私の場合は就労相談)」と標榜していても同じだと思っています。本人からすれば、そんなものは何のその。話したい時に相手がいれば相談してくるものです。
その時に「それは知らない。うちじゃない」と言うのか、「どういうこと?うーん、わからないけど調べてみようか」と言うのかでその後の本来業務のやりやすさも変わってくるかも。
「断らずに受け止める」は重層的支援体制~だけでなく、ソーシャルワーカーとしての基本姿勢だと理解しています。
その姿勢を表現するためにも、よく聞き、よく調べ、繋いでいくことは重要なスキルだと考えています。
日々の支援事例の積み上げや、他の相談員との何気ないやり取り、「そんなこと知らねえよ」から調べる姿勢を大事にしたいですね。
最終的にはなんでも知っている長老のような後見人になりたい。
若い人に嫌われないように、角のないおじいさんになりたい。
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