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仕事のこと④~アセスメントについて~

「アセスメント」と言われてみなさんはピンと来るでしょうか。私の就いている福祉業界ではこの言葉がよく飛び交っています。

この言葉は福祉業界だけでなく、様々な業界で使われているようです。私がへぇ、と思ったのは建築業界だったかと。

この言葉は業界ごとに、また同じ福祉業界でも障害福祉・高齢福祉・児童福祉でおそらく視点や、捉え方が変わってくるものだと思っています。

 

今回はこの「アセスメント」の一般的な意味だけでなく、私自身がどのように捉えているか、その方法や、アセスメントをおこなっている時の思考を振り返っていこうと思います。

 

 

アセスメントの意味

 

アセスメントをネットで調べると、一言でいうと「評価」と出てきます。特に客観的な、調査に基づいた評価、という風に説明されます。

福祉業界では対象者を「アセスメント」します。その人自身が希望する支援の他、必要な支援を支援者が検討する、あたりをつけるためのものです。また、希望する支援の実施が適当かどうかを判断する材料にもなります。

たとえば、その人が生まれてから今に至るまでの生活歴や、現在置かれている環境(家庭・日中の場所・友人関係・利用しているサービスなど)、特定の場面での気持ちの動き方などなど、様々な情報を知ることが「アセスメント」の始まりです。

 

ここからは私の解釈も多分に含みます。

アセスメントはただ情報を得る、だけでなく、そこから分析する手順が発生します。たとえば、本人の作業能力を「アセスメント」する場合、「どこで」「どれだけの時間」「何をしているか」「誰といるか」などだけでなく、「作業ができている理由」や「できていない理由」のような「なぜそうなっているか」の情報を集めて傾向をみたり、今後の変化の予測をしたりするわけです。

それらの工程全体を含めて、私は「アセスメント」とみています。アセスメントがあるから支援の「見立て」ができて、具体的なサービスの提案をおこなえるわけです。

 

業界内でも「アセスメント」の持つ意味や、イメージが違ってくるのは、その量やアセスメントする内容が必要に応じて変わるからだと思っています。生まれてから今までの情報が必要な分野があれば、現在の本人の周辺情報だけでも業務ができる分野があるでしょう。

でも大概の場合、関わっていると「なんで?」と思うことが出てくるので、自然と聞き取っているわけですが。意図して聞くのが、その相談員が必要とする部分なのでしょう。また、必要ない部分は別に聞かなくてもいい、というのが私の考え方です。特にプライベートな部分については、聞きすぎないようにしていたり、聞くにしても聞き方を工夫したり、意図を伝えたりして、本人が納得して話せるよう意識しているつもりです。

 

「アセスメント」にはそもそも相談員自身が、どのような情報が支援を検討する上で必要になるかをあらかじめ整理しておけるといいと思います。自分の業務理解を深めると、アセスメントが円滑になるでしょう。相手への負担も減りますね。

 

 

アセスメントの方法

 

アセスメントの基になる情報は、いろいろな手段で得ていきます。

メジャーなのは面談による「聞き取り」。この時に事業所ごとにアセスメントシートを使うこともあります。何を聞くかをまとめた書式ですね。あらかじめ本人に書いてきてもらうこともあります。そこから最低限の聞き漏らしがないように聞いていきます。

 

「行動観察」も重要な視点です。いわゆる非言語的な部分。本人の行動をみて、なぜそうしたのかを考察したり、本人に確認したりします。私の関わる就労支援の分野では、作業検査や職場実習が形式的な場面になるでしょうか。そういった場面だけでなく、事務所に入って来る時にノックするかな、とか、服装はどうか、話す時の目線や仕草、手の位置などなど、気持ち悪い話ですが、いろいろなところに注目しています。重要なのは「見ているぞ」としないこと。自然に視線を泳がせて、全体をみられるといいな、と思っています(難しい)。

 

他には家族や他の支援者からの聞き取り、「情報共有」も重要でしょう。家庭での本人と、外に出た時の本人は違って当たり前です。支援者の前ではきっちりしている、職場ではきっちりしているなんてことはざらにあります。これはいいことで、当たり前のことですが、それが無理に繋がっていないかということも確認したいものなのです。専門機関がおこなった「WAIS」などの心理検査や、医師の診断結果、服薬情報も重要です。同じ情報でも、分析、解釈が違うことがあるので、支援者は情報共有をします。前提として、本人の了解を得ておこなうことが重要です。その場合も、意図をしっかり伝えていきます。

 

大まかにはこんな感じでしょうか。改めて、支援者っていろいろみていて、みられる側からしたら気持ち悪いですね。申し訳ない。でも必要だと思っているのです。それは毎回お伝えしています。アセスメントには相互理解が重要。

 

 

アセスメントの時の思考・傾向

 

私自身の振り返りを兼ねて、アセスメントをしている時の思考や傾向をまとめてみます。

 

自分の中でアセスメントはなぞなぞや推理に近い感覚を持つことがあります。特に、就労支援の分野だからか、私は様々な行動に対して「なぜできているのか、なぜできないのか」に注目することが多いのです。

例えば面談で「字が書けない」と言われた時、まず「漢字がわからないのかな」「ペンが握れないのかな」「ペンを持ってきてないのかな」「ペンが置いてあることに気付いていないのかな」「薬で手が震えるのかな」「人前で緊張が強いのかな」・・・と頭の中で様々な想定が生まれます。そして質問をする。「どうしてですか?」のように。すると「漢字がわからなくて」のように回答があります。そうするとさらに「特定の漢字がわからないのかな」「漢字が全体的に苦手なのかな」「学校の成績はどうだったのかな」「障害の影響があるのかな」・・・と疑問が浮かんでいきます。それを何度か繰り返して、「ああ、この人は知的障害があって漢字が苦手なんだな。その上初対面の自分の前だから焦りもあるのか。落ち着いて見本をみれば書けるし、名前や住所なら書けるのね。学校ではふりがなをつけてもらっていたんだ」と理解が進みます。そして、「言葉の意味の理解はどうかな」「仕事をする上で影響はあるかな」「生活の中ではどうしているのかな」・・・のように何で困っているか、整理する部分にあたりをつけて面談(情報収集)がさらに進んでいきます。

 

仮に本人理解が「答えを得る」ことだとすると(どこまでいったら本人理解と言えるかは置いておいて)、答えを得られるまで質問することがアセスメントで、その答えにたどり着くまでに必要な質問の数が少ないと「見立てが早い」と言えるわけです。いかに本人の言葉から仮説を立てていくか、その仮説をどのように検証(質問)すれば仮説の幅が狭まって答えに近づけるか、そういう意味で自分は推理している感覚になることがあるのでした。

最近、緘黙(答えられず黙ってしまう)の傾向がある方と面談して、初回のアセスメントを取る時は特になぞなぞ感が強かったです。頷きと断片的な単語による筆談(知的障害の影響もあるようです)から、こちらがいくつか仮説を立てていくという。相手も頑張ってくれて、なんとか一定の情報を得ることができました。

 

他に、私はその時々で本人がどう感じたか、にも注目する傾向が多いようです。以前1年間、自分のアセスメントの傾向を知りたくて、とあるシートを使って、自分が集めた情報と、そこからの考察、支援の方針、結果をまとめることをしていました。

考察の内訳に「生物的なこと(疾患や障害・発達の遅れ)」、「心理的なこと(不安・希望など)」、「社会的・対人関係の特徴」という項目があるのですが、圧倒的に「心理的なこと」の考察が多かった。つまり発言や情報に対して「こう思っているかも」と考察することが多いようです。この部分は支援者自身の思い込みも多くなるから注意をしなければなと思いました。「こう思ってる?」と聞いても、相手も整理しきれてなかったり、誘導尋問みたいになったりするからね。

 

 

まとめ

 

アセスメントとは支援対象者の様々な情報から、支援者の考察を加え、本人の特徴や傾向、必要な支援を「評価」すること。

その方法は、面談や行動観察、家族や他機関からの情報共有が挙げられる。

 

相談員自身がどのような情報が必要か、なぜそれを聞くのかを整理し、説明できるようにしておくと、支援対象者も納得感を持って答えてくれると思っています。アセスメントは支援者がするものではなく、本人と相互のやり取りをしながら深めていくもの。だから、しっかり支援者側の意図や必要性を伝えて、支援対象者に協力してもらう必要があるのです。

一方的でどんなことでも聞いてしまうと、相手は不快感や不信感を持ってしまって、アセスメントが進まず、支援関係もこじれてしまいます。

「なんでも知っておかないと」と支援者は思いがち(少なくとも私はそうでした)ですが、そんなことはない。誰かに聞かれて答えられなかったら、「本人に聞いてみましょう」と言えばいいのです。重要なのは、「事実」と「仮説」の認識を違えないこと。苦し紛れに自分の考えをあたかも事実のように言うのは控えたいところ。

 

アセスメントは難しいですが、個人的にはなぞなぞや推理のように思えておもしろいな、と感じることも多いです。失礼ですか?すみません。でも楽しんで仕事するのって大事ですよね。

 

アセスメントは本人と深めていくものと言いましたが、アセスメントの経過自体が本人の自己理解を深め、その後の支援にいい影響を与えることもあるのです。私はそう思っているので、よく「私はあなたのことをこう思ってる」と返すことがあります。どうなんだろう。失礼にならないかはよく見極めているつもりです。

 

何度も言いますが、支援対象者の協力あってのアセスメント、その後の支援だと思っています。支援者だけで空回っても仕方ない。全部を知る必要はないのです。本人自身も説明できないことも多々あります。そこを行動観察し、仮説を立てて、検証していくのです。アセスメントは支援の工程のひとつですが、終わることはありません。いろいろな場面、タイミングで本人と関わりますが、そのすべてがアセスメントに繋がっていきます。

 

これは現時点で私が整理している内容です。今後も考え方が変わっていくでしょう。何度かこうしてまとめることが出てくるかもね。

相談員の数だけ傾向や癖がある。他の人の考えを聞くのは楽しいです。


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