短編小説 キミノハナトコトノハ

 りーんりーんと鈴の音。肌寒い夜に虫の声。
 ボクは部屋の窓を開け放つ。中秋の名月が綺麗だ。
 ベッドサイドにはチョコレートコスモスが生けてある。キミが好きだった花だ。
 ボクはベッドに寝転がると目を閉じる。鈴虫の音色が心地よかった。




「……ねぇ、聞いてるの?筆、止まってるよ?」
 はっと我に返ると、キミが目の前で手を振っていた。いくら声をかけても返事がないから側まで来てくれていたようだ。
「ごめん……ぼーっとしてた」
「モデルをほっといて、ぼーっとしないでよね!こっちだって同じポーズとり続けてて疲れるんだから!」
「ごめんごめん!なんか疲れちゃってさぁ……。もう、今日はこの辺にしとこうか?日も暮れてきたし」
 アトリエに西日が射し込んできていた。庭では鈴虫が鳴いている。冷たい風がカーテンを揺らし、キミの髪がなびく。カーディガンを羽織ってはいるが、痩せ細ったキミの身体には堪えたのだろう。腕を擦りながら窓を閉めに歩き出す。そんなキミを慌てて制して、ボクが窓を閉めた。
「ほら、もう横になりなよ?体に障るしさ。あぁ、お腹も空いたよね?なんか買ってくるから……何がいいかな?寒くなってきたし、おでんとか?食べられる?無理そうならお粥とか……」
「そうやってすぐ病人扱いする!まだまだ元気に動けます!色んな物も食べれます!だからおでんください!!お粥なんて嫌よ」
「ごめん!分かったから怒んないでよ……」
「分かればよろしい。……コンビニおでんがいいなぁ、久しぶりにしみしみ大根食べたい!後、はんぺん!」
「じゃ、買ってくるよ」
 ボクは財布を片手にアトリエを出た。

 キミがボクに自画像を描いてほしいと森のアトリエに乗り込んできたのは、今から半年前だった。
 手に診断書を握りしめてボクを壁に追いやり、すごい剣幕でお願いと凄んできた。………ほぼ脅迫だった。逃げ場のないボクは首を縦に振ることでなんとかやり過ごしたが、まさか病気だったなんて、この時は思いもよらなかった。
 しかも治療なんてしたくない!と、病院を飛び出してきていたなんて、想像すらしていなかった。
 キミは身寄りもなく、たった一人で生きてきた。それはボクも同じ。だから、アトリエに来たんだろう。治療しろとか生きてとか煩わしいとこは言わないから。
 ただ、あるがままに生きて死ぬ……それでいいとボクも思っているから。
 ただ、キミは生きていた証は残しておきたかった。だから、自画像を描け!……そう言うことだ。
 何十年何百年と絵画は、残るからーー。

 おでんを買って帰ってくると、キミはソファーでうたた寝していた。ベッドで寝てればいいのに。そう思いながら肩を少し揺する。
「……ん、ん?……んー、寝てた?」
「うん。ベッドで寝てればよかったのに……。ほら、おでん、食べよ?冷めちゃわないうちに」
 うつらうつらしながらも起き上がると、用意していたおでんの大根を箸で掴んで食べ始めた。
「んー!これこれ!みしみし大根!!おいしー!!眠気も飛んだわ!!」
「それはそれはよかったです」
 まだ、自力で食事が出来るキミを見てほっとする。まだ大丈夫……そうボク自身に言い聞かせる。キミはまだ生きられる……まだ大丈夫……まだ……。
 キミの命はいつまで持つのか……。頑ななキミは絶対に意思を曲げない。それが分かっているからボクは今日も言葉を飲み込むのだ。

 キミの絵を描き始めて一年が過ぎた。庭には蝶々が舞い新緑が広がり、日差しも暖かくなってきた。
 ボクはホースを持ち花壇に水をあげる。花なんて育てたことなかったから、球根から芽が出たときは柄にもなく、はしゃいでしまった。車椅子生活を送るキミを少しでも喜ばせたくて植えたチョコレートコスモスの球根だ。このままうまく育てば秋ごろには花が開くだろう。
 ホースを戻した後、キミの車椅子を押して花壇までやってきた。
「このまま育てば秋には開花するだろうからさ、一緒に見ようね!」
「……うわぁ、死亡フラグたてないでよ!それ、約束した時点で見れずに死ぬ確定のやつじゃん!」
「そんなつもりないよっ!?」
「はいはい、そうだろうね。絵を完成させないのもわざとでしょ?そうやって、生きる目的みたいなの作っちゃってさ!それもフラグだかんね!?まぁ、死ぬつもりありませんけど!」
「だから!本当にまだ絵は完成しないの!わざとじゃないって!!だいたい、二枚同時に描いてんだからしかたないじゃん!」
 そんな他愛のない会話をしながら庭を歩く。
「そういえばさぁ、なんで二枚なの?自画像なら一枚でいいと思うんだけど?」
 今さら何を言うんだと呆れた感じでボクを見上げてきた。
「ばかだねぇ、意味も分からずに描いてたの?それじゃぁ一生完成しないよ……」
 と、呆れている。一枚の絵にはチョコレートコスモスを背景に、もう一枚にはイヌホオズキの花。チョコレートコスモスはキミが好きな花だからわかるけどイヌホオズキは何故なんだろう?
 気になってキミに尋ねても内緒と教えてはくれなかった。

 キミの病気の進行は早く、森が紅葉に色付く頃にはベッドから起き上がることも困難になっていた。呼吸をするのもままならないほど筋力が衰え、食事もスープを飲むのがやっとだ。浅い呼吸を繰り返しながらキミが窓辺を見やる。
 そこには先日描き上がったばかりのキミの自画像と、朝に花壇から摘んで花瓶に生けていたチョコレートコスモスが並んでいる。それを見てキミは少し微笑む。そして、手を伸ばそうと弱々しく腕を持ち上げた。ボクは花瓶に近づくと一輪抜き取ってキミに持たせる。少し微笑んだキミを見てボクも微笑んだ。

 正直なところキミの寿命は残り僅かだろう。もう何度、キミの意思を無視して医者を呼ぼうとしただろうか?病気を治すことは出来なくても遅らせることは出来るはず……そう思い、幾度と無く携帯を手に取るが、最後までボタンを押すことが出来なかった。

 これはキミのエゴであり、ボク自身のエゴだ。

 最後まで生命に逆らわずに生きたいと願うキミと、最後の時までボクだけを見ていてほしい……誰にも邪魔されたくないと願う邪なボクのーー。

「……さいごまで、…みとって、よね……」
 弱々しくチョコレートコスモスを握り締めながらキミは声を絞り出す。
「うん、分かってるよ。キミが天に召されるその時まで…ボクはキミの生き様を描き続けるから」
 まだ未完成のキャンバスには美しいキミの笑顔とチョコレートコスモスがスケッチされている。やっと一枚完成させた絵にはキミの横顔とイヌホオズキの花が描かれている。なぜ、この二枚の絵を描いて欲しいのか理由を教えてくれないけど。
「……絶対に完成させるから」
「……ばかだなぁ……そのちょうしじゃ、…かんせい、しないよ……」
 そういうとキミは寂しそうに笑い、ゆっくりと眠りについた。
 筋力が落ちて体力の無くなったキミは、起きている時間の方が遥かに短くなっている。
「冬、越せるといいけど……」
 既にからだが冷えやすくなっているキミには、今年の冬は堪えるだろう。そもそも冬まで生きていられるのか?それさえも危ういキミにしてあげられることはなんだろうか?と描きかけのキャンバスを眺めた。外では鈴虫がりーんりーんと鳴いていた。




 本当にボクはバカだったんだなぁと、あの日言われたキミの言葉を思い出していた。
 結局キミは冬を迎える前に逝ってしまった。
 それまでに絵は二枚とも完成させたのに、キミには未完成だと言われてしまった。

 …さいごまで、……わからないなら、しかたないね……ほんと、ばか……、でも、ありがとう……。

 息も絶え絶えで、時に咳き込みながらも紡いだ最後の言葉だった。
 あれから数年経って、やっとキミが残した絵の意味がわかった。
 どうして好きでもないイヌホオズキを描かせたのか?なんでチョコレートコスモスだったのか?
 理解したとたんアトリエで泣き崩れた。とんだ朴念仁だと、誰も居ないのをいいことに声を出してわんわん泣き続けた。……ホントにばかだと心底自分を呪った。
 何故最後の時にボクと一緒に居ることを選んだのかを分かっていなかった。分かっていれば、ボクの行動はもう少し違ったものになっていただろうに。

 その後のボクは完全にアトリエに引きこもりキミの絵を描き続けた。気が狂ったかのように筆を動かす様は猟奇的だったことだろう。寝食も忘れてただ描き続ける。
 気づけば病的なほどに痩せ細り、髭は生え、髪はボサボサに伸び、鏡に映るボクは幽鬼的な姿をしていた。それでも、気にすることなく絵を描こうとしたら外から鈴虫の声が聞こえてきた。そこでハッとした。もう秋なのだと。
 キミが好きな花の季節だと。
 ボクはフラフラと庭に出た。あの日に植えたチョコレートコスモスの花壇を見るために。
 手入れ等していない花壇には奇跡的にチョコレートコスモスの花が一輪だけ咲いていた。

 ボクはその花を摘むと部屋に持ち込んでベッドサイドに飾る。
 相変わらず鈴虫がりーんりーんと鳴いていた。
 


ーーーーーーーー
花言葉
イヌホオズキ「嘘」「真実」
チョコレートコスモス「移り変わらぬ気持ち」「恋の思い出」「恋の終わり」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?