短編小説 人と魚の狭間にて

 美しい歌声が聴こえるーーー。

 優しく美麗に響き渡るソプラノの女声。

 その歌声に引き寄せられるかのように歩き出す。

 魅惑に囚われた人間が何処かへと消えていったーーー。





「私の肉を食べたいの?……いいわよ?あなたに不老不死の力をあげるわ」
 僕が我に返ると目の前には人魚がいて、なぜか僕はナイフを握りしめていた。ここはどこだろうかと辺りを見渡すと、どうやら洞窟のようで眼前には暗い海と砂浜。
 人魚は上半身を海から出している状態でそう言った。
 僕は不老不死になりたいなんて言ったのだろうか?全然会話を思い出すことができないまま、人魚にナイフを奪われる。そして、ナイフを自らの身体に突き立てた。
 血飛沫が舞って痛々しい姿になっているのに、なぜか人魚は楽しそうに笑いながら肉を切り取ると僕に渡してきた。
「どうぞ。……これが、あなたがお望みの不老不死の妙薬よ」
 人魚はやっぱり楽しそうに笑っている。
 肉を切り出して差し出すことのなにが楽しいのか、僕にはさっぱり分からないし、大量の血が出てるしで、僕の頭の中は真っ白だ。
 茫然自失をしている僕に業を煮やしたのか人魚は唄い出す。すると、僕の意識に霞がかかり、気がつくと肉を口に入れて咀嚼し飲み込んでいた。
 とたん、身体に電流を流されたような強烈な痛みが走り、グニャリと激しい眩暈が起こった。だが、眩暈と痛みは直ぐに良くなった。あれ?っと不思議に思い身体を見てみたが何も変化は感じられない。

 人魚は唄うのを止めると笑いだした。

 なんでそんなに笑っているのかが奇妙だった。

「……なんで、そんなに楽しそうなんですか?そもそも、なんで僕を不老不死にしてくれたんですか?」
「君を不老不死にしたかった訳じゃないわよ。誰でも良かったの………。私はね?まだ人としての意識があるうちに……死にたいだけよ」
 バサッと水面に尾ひれを覗かせると忌々しげに言葉を続ける。
「不老不死………そんな言葉に翻弄された人間の末路がこれよ。私は……というよりは人魚はみんな、元人間なのよ」
 バシャッと尾ひれで水面を激しく叩く。笑顔から一変して怒りの表情へと変貌していた。「私だってほんの出来心だったのよ!?不老不死になれるっていうから!!みんなで寄って集って人魚を食べたわよ!!私が生きてた時代は食べるものすら殆どない時代だったし、まわりではバタバタ人が飢えで死ぬ、そんな時代。だから、嘘かホントか知らないけどそんな噂に踊らされたのだって仕方ないじゃない!!!」
 人魚がそう捲し立て、尾ひれは激しく水面を叩き続けている。憎しみにも似た激しい怒りだと感じた。

 ただ、僕には何がなんだか解らず戸惑うだけだ。

「ち、ちょっと待ってください!急にどうしたんですか!?人魚が元人間!?どういう事ですか!?」
「それだけじゃないわよ!人魚は魚でもある」
「???…なにを言ってるんですか?確かに足は魚ですけど、でも………」
「鱗が全身にまわった時、人魚は自我を失い完全な魚になる。人から魚に………。もしかしたら普段食べている魚も元人間の魚がいたかもしれないわよ?面白いでしょ!知らず知らずのうちに共食いしてるかもしれないなんてね」
 どういう事か分からず混乱している僕を置き去りにして、更に人魚は話を続けていく。「徐々に徐々に気の遠くなるような長い時間をかけて魚に近づいていく日々は、とてつもなく恐ろしいわよ?」
 と、人魚は僕の腕を掴むと海に引きずり込んだ。
「おわぁ!!僕、金づちなんですよ!?助けて!!」
「なに言ってるのよ?泳げるし、息だって出来る。ただ、もう二度と陸には上がれないけどね。どういう理屈か知らないけど、水中に居ないと息が出来ないのよ。だから、息が苦しくなる前に海に入る必要があるの!」
 人魚がそんな訳の分からないことを言っている。そんな訳あるか!と、必死に泳ぐ。
 すると、人魚が言っていたように泳ぐことが出来ていることに気づいた僕は、人魚から逃れようと必死に陸に上がった。だが、思うように息ができない。酸素を吸う感覚が無く苦しい。
 必死に空気を吸おうと呼吸を繰り返すのに肺が動く気配が全くしなかった。
「そんなッ、ばかな……」
 僕は息をしようと無意識の内に水中に戻っていた。呼吸を取り戻し、器用に泳いでいる。………信じられなかった。
「だから言ったのに、こっちは時間ないんだから話を聞いて」
「時間ないって、どういう事ですか?」
「いいから聞きなさい」
 人魚は真剣な顔で話し出した。これから僕に起こる出来事を。

 要約するとこんな感じだ。

 まず、不老不死になるという噂を流していたのは人魚自身だ。そうでもしないとこんな不気味な怪物を人間は食べてくれないから。
 人魚は海面に出られる日が限られている。そこを逃すともう二度と海面に出られなくなるからその日を逃すな。その為に人魚には魅惑の歌が唄える。捕えたら肉を食べさせる。そうすれば自我を失い身体が魚に変貌していく恐怖から逃れられ、人の意識がある状態で死ねる。それを逃すと深海で魚になるまで永久に彷徨い続けることになる。

 そこまで言うと、人魚の身体は泡となり消えてしまった。

「ちょっと、人魚!!これから僕はどうすれば!?」
 消えた人魚に問いかけても声は帰ってこなかった。
 ふと、足先に違和感を覚えた。まさかと思い触ってみると一枚の鱗が這えていた。

「そんなッ!ばかな!?」

 僕の顔から血の気が引いた。そんなことある訳がないと鱗をむしる。痛みが走り、次には新しい鱗が這える。そうしている内に、少しずつ少しずつ足先から鱗が這えていく。むしってもむしっても。

 僕は痛みすら忘れてむしり続けた。そして、両足がピタッとくっつき同化すると、ナニかに引っ張られるようにして水底へと落ちていった。





 あれからどれくらいの月日が流れたのだろうか?百年か?千年か?時間の感覚などとうに無くなっている。

 やっと、やっとーー!待ちに待った念願のこの日がやって来た。身体が浮上できるこの日を待ちわびた。絶対に逃さない。自我を失い魚になって永久に深海を漂うなんて御免だ!!

 僕は急いであの洞窟に向かうと魅惑の歌を唄いだした。


 (さぁ、僕《人魚》のための贄よ、この場所に現れるがいいーーー!!)





 何処からか美しい歌声が聴こえてくるーーー。

 優しく美麗に響き渡るテノールの男声が。

 その歌声に引き寄せられるかのように歩き出す。


 魅惑に囚われた人間がまた何処かへと消えていったーーー。

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