専業主婦をニートと呼び、娼婦に説教する。だから女性は社会進出した。
タイトルのままである。
この記事に始まったことではなく、専業主婦 ニート、で検索すれば、女性に恨みを抱く独身男性からのそのような質問や罵倒などがモリモリにヒットする。
よく「女性の社会進出が社会を壊した!女性のせいで社会が壊れた!」と糾弾する男性論者を見るが、「なぜ社会進出したのか」についてはあまり触れられない。
それについても様々なデータを出しているところはあるにはあるが、データだけでなく、上の記事のように、女性の性的役割を馬鹿にして価値のないものとする風潮が根強くあったことが原因のひとつなのである。
ここではみんなが馬鹿にする「お気持ち」にスポットをあてる。
お気持ちを馬鹿にしてはいけない。お気持ちこそが、世の中を変えていく原動力のひとつなのだ。お気持ちを馬鹿にする人たちさえも、お気持ちを馬鹿にしたいというお気持ちに突き動かされている。
「女性に性的役割をきちんとはたしてもらいたい、その代わり養います」というのは、仕事が違っていても対等な形であるはずのに、そのスタイルに「働く方を敬え、そして仕えろ。さらにおまえがやる家庭を維持する家事育児は蔑む。そしてその仕事は完璧にやれ」というオプションを付けていった。
儒教や仏教のせいとされているが、実はよくよく読みといていくと、この二つにはそこまでの男尊女卑思想はないそうで、これらを曲解していったものたちが、男尊女卑を広めていった、ということらしい。
以前の記事にも書いたが、なぜ、なぜ、女性を蔑み馬鹿にし、女性の性的役割を価値のないものとしたのか。
価値のないとされる仕事に従事し、馬鹿にされて、ずっとその仕事をし続けたいと思う人間などいるだろうか。
フェミニストの偉い人が「子供を持ち家庭に遣え、自分の人生を他人のケアに使って生きるのは馬鹿らしいこと」と高らかに謡い、それを見た女性が「そうね。そのとおりね」いう気持ちになり、「自分がなにがしかのなにか」になれると目がくらんで、その馬鹿な考え方に飛びついたって仕方のないことだ。
だが目がくらんでいるから、このフェミニストの言葉が、今まで自分を苦しめた男たちが言っていることと同じだと気づかない。
結婚し子を産み育て、栄養のある食事を作り、部屋を整え皆が気持ちよく暮らせるようにし、老いた両親の世話をすることは、社会全体を支える大きく太い柱のひとつであり、現在と未来の社会に貢献するとても立派な、大仕事である。
なぜ、馬鹿にする必要があるのか。
しかし最近では、女性が大黒柱、男性が主夫という形の夫婦間で、「主夫を下に見てしまい、自分がされて嫌だったことを夫にしてしまった」というようなブログ記事などをちらほら見かけるようになった。
つまりこの「働く側が偉い、家庭を維持する方は偉くない」という気持ちは男女問わずそのような心象になりがちな構図なのかもしれないということだ。
ここで役立つのは「うまいこと仕えていい気持ちにさせて、甘い汁をいただこう」といういわゆる「男性を手のひらで転がせ」論だろう。あるフェミニスト撲滅漫画にあった「かしづく支配者と君臨する奴隷」というやつだ。
確かにこの方法は両者納得の元ならよく機能するのだろう。だが、どうしても上下関係をつけなければうまくいかないという関係性は、私個人としては(このノートは全て個人的なことしか書いてないが)あまり好きではない。
互いに互いのやっている仕事を尊いものとし、感謝すればよいだけのこと。
最近は「男らしく女らしくはもう古い」などという考えがデカい顔をして歩いているが、昔からあったシステムは社会を維持するために良く機能していたからシステムとして成り立っていたのであって、古いかもしれないが、その全てが悪いものではない。
女性に子供を産み、男性を癒してほしいのなら、その仕事を価値のあるものとし、馬鹿にするのをやめるべきだ。
射精し終わったら、「こんな仕事やめなよ」と娼婦に説教するのも、専業主婦を嘲笑いニートと蔑むのも、どこにも、誰にも、何ひとつ、いいことなどない。