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「一日のゴールだけでも設定する」朝不謀夕

朝に夕べを謀らず
―朝不謀夕―

[原文](春秋左伝 昭公元年)
吾儕偸食、朝不謀夕、何其長也。

[書き下し文]
吾儕(わなみ)は偸食(とうしょく)し、朝(あし)たに夕べを謀らず、何ぞ其の長きや。

[原文の語訳]
私ごときは何の仕事もせずにただ食べて過ごしているだけ、朝に夕方のことすら考えないのだから、どうして先のことなど考えられるというのだ。

偸食(とうしょく)
→なんの仕事もせずに遊び暮らすこと
→ただ食べるだけで、何も生産しないこと。

[解釈]
文章として捉えると二種類の考え方ができます。
1.今日一日のことも考えずに過ごしているのだから、将来のことなど考えているはずがない。
2.食にありつくのがやっとなほど困窮していて、目前のことをすら考える余裕のない、先のことなど考えられない。

ワーワーと騒いでいるだけでは何も進みません。
ブラック企業っぽい気もします。生産性のない作業に忙殺されて生産性のある仕事ができずにいる。これでは先のことを考えて取り組むことなどできるはずがありません。
「給料泥棒」と言われる人は、往々にしてこういう人のことを言うのかもしれません。
スポーツでも基礎訓練をただこなすだでけなく、それが後に何に役立つかを考えながら取り組むことで結果が違ってきます。

本来であれば長期的な展望から、それを細分化して一日の計を立てるところですが、先のことはおろか一日を過ごすことさえままならぬ切迫した状態ということです。

目まぐるしく状況が変化する現代では、短期間であってもなかなか見通しは立てづらい事柄があります。そういう状況であっても、せめて朝にゴールだけでも設定し、一日が終わった時のイメージだけでもするようにしたいものです。

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