丁寧に生きること②
こんにちは。ナルノです。
前回は、丁寧に生きることのキーワードはマズローの5大階欲求説の
③所属の愛の欲求と⑤自己実現欲求
であるというお話をしました。
もしまだ読まれていない方は先に「丁寧に生きること②」を読んでいただくことをおススメします。
⇒「丁寧に生きること①」
今回は2つの欲求と丁寧に生きることの結びつきについてお話します。
前回紹介した③所属の愛の欲求について漸くお話できますね。
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さて、何故多くの人は企業に勤めているのでしょう。
嫌なことも多くないですか?…それでも所属し続ける。
何故なら企業に所属し続けることで③所属と愛の欲求を、安定した収入を得ることで、②安全の欲求を満たしているからです。
「丁寧に生きること①」で人間は無意識のうちに準備された生活環境で育ち、コミュニティを築いていく。と言ったことを覚えていますでしょうか。
少し嫌味な聞こえ方ではありますが、敢えて言います。
今まで準備された環境で生きることを学んでしまっているから、自分で変化を起こすのはとても労力がいることになってしまっている。
と思うのです。
そのため、今まで通りに③所属と愛の欲求を満たしていると⑤自己実現の欲求を満たすことは難しいです。
だって何となくで生きてこれる世の中なのですから。途中まではね。
ではどうしたら良いのか?
よく言うのは、失恋して前に進めない。
これは非常に似ているケースだと思います。
上記を言い換えると以下のようになります。
今までは無意識的に満たされていた心をどう補えばいいのか分からない。
新たな一歩を踏み出せない。
そんな時は新しい恋を探すために"自発的"に行動しますよね。
もしくは時が傷を癒す。とかね。
しかし、私の持論では時が解決してくれることはないです。
時を経ることで偶発的にそれを上回る何かに出会ったからこそ記憶が上書きされていると考えているからです。(か、忘却しているか。)
一度抱えたトラウマは時間が解決してくれるのでしょうか?
"自発的"に成功経験を得て克服しませんか?
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勘違いしてはいけないのはどこかに所属していても必ずしも③所属と愛の欲求が享受できるとは限らない。ということです。
自分の能力や可能性について考えたとき、所属による弊害に気づくことになります。
それは”しがらみ”です。
所属するということは、集団のルールにのっとりその目的を果たすために動きます。
したがって、自分のために活動する時間が減少します。
つまりは、
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」
という言葉を体現化したようなものです。
選択肢を狭めることによって、特化した分野を持ったり組織だからこそ経験することがあるでしょう。
しかしそれは必ずしも自己実現とイコールではありません。
空の蒼さを知っていても、空の高さを知ることはありません。
もっと言えば海の存在を知らないのですから、海に行きたいという欲求が生まれることもありません。
子どものころに憧れた職業は何ですか?
サッカーをやっていたからサッカー選手でしょうか?
ケーキが好きだからケーキ屋さんでしょうか?
もしサッカーをしたことがない人やケーキを食べたことがない人は目指すことがないでしょう。
経験は人の選択肢を増やします。
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実は前回の記事でお話したことを覚えていますでしょうか?
自分に最も適した達成すべき活動をみつけ、自分の可能性を発揮すること。
私はこれこそが自分の人生を丁寧に生きるために探求し続けるべき課題であり、
生きる意味だと思っています。
実は丁寧に生きることについて必要なことの2つは既に述べていました。
A.最も適した達成すべき活動を見つけること
B.自分の可能性を発揮すること
何故、③所属と愛の欲求について深堀りしたのか。
それは
最も適した達成できる活動・自分の可能性を発揮できる"環境"にいることが大切だから
です。
今自分がその環境にいるかどうかは”経験”を積めているかどうかが尺度になるでしょう。
そして最後の3つめが"丁寧"と位置付けるに大切なことだと思っています。
C.上記(A&B)の探求を繰り返すこと
"丁寧"とは「入念に丹精込めて行うさま」のことを言います。
生きるを丁寧に扱うとは自己実現に向かって絶えず成長すること。
簡単なことではないけれどそれこそ挑戦することを辞めないことが丁寧に生きることだと思います。
最後の瞬間に精一杯生きたと思える人生はどのような生き方でしょうか。