自分の命の価値

とある尊敬する方のnote記事を読んでいた。
その方は本当に一生懸命生きていて、誰からも、というより
人類にとってレベルで必要な方だとおもう。

そんな人と自分を比べるのも良くないが
自分のいのちをどれだけ大切に生きているかを
考えさせられる。

これまた各所の、とある機会に耳にした
”いのち”とはなにか の定義に則って考えると
いのちは エネルギーの動き、熱交換、物事の変化であり
いのちは 時間である。
と。

いのちを全うすることは、やはり時間に対して、エネルギーに対して
もっと真剣に向き合わなければなぁと思ってしまうが
一方で、~しなければ と考えない 無為自然の呪縛が
僕を締め付ける。

僕 という個別命を考えたとき、果たしてどんな意味をもたせられるのか。

その御方は、息子と過ごす時間が週2時間しかないという。

僕も極力子供と過ごしたいと思っていて、2時間以上
もっともっと息子と過ごしているけれども
御方が息子に残している2時間と、僕の2時間とをこれまた比べる煩悩。

大したことを息子には残せないかもしれない凡人ではあるけれども
一緒にいる時間を、スマホだとかなんだとかに流されず
せめて、ちゃんと遊んであげようと思う次第でございます。

子供ができたあと、大半の男の人生など おまけみたいなものだとか。
おまけで社会に何かを残せるかも大事だが
息子に何を残せるかも大事だ。

それが、熱量の種を子供に植え、熱交換する

いのち への意味付けなのかもしれない。

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