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自分の書いた記事をシェアすることについていまだに悩む

これは自分のブログとかではなく、主に商業媒体に記事を書いたときのこと。

いろいろやり取りして原稿とか写真とかを納品して、こちらの仕事は終わり。よかったよかった、となる。納品をもってライターとしての仕事は終了。あとは請求書を送るくらいか。

と思っていたら、そのあとこう言われることが最近増えてきた。

「なんでシェアしてくれないんですか?」

なんでと言われても困ってしまう…。いやこっちがなんで?という気持ちだ。

よく界隈では「Web媒体と紙媒体ではこんな違いが〜」みたいなことが散々言われてきてるけど、書き手として見るなら一番の違いは、紙媒体は書いたあとに「記事をシェアしてください」って言われないところ。原稿を納品して、請求書を送って終わり。

Web媒体はいろいろだ。記事を企画する段階から、「こうやってSNSでシェアしてもらう仕掛けを入れよう」と担当の編集者と相談してつくり始めたり、「媒体の公式アカウントではこういう内容をツイートしてください、僕の方ではこんな感じで補足しますんで」って媒体のSNSアカウントのツイート文言を一緒に考えたり、あるいはさっきみたいな「なんでシェアしてくれないんですか?」まで、まあいろいろなパターンがある。

書いた記事のシェアに関して一番多いのは、記事公開後に編集担当の方から「よかったらシェアしてみてください」程度にちらっとお願いされることだろうか。そう言われたら、適当なタイミングでシェアするか、そのまましないときもある。原稿仕事に含まれていないから自由である。

というわけで、なんだかもう原稿を納品した後のほうがいろいろ考えてしまって疲れてきたので、この話題について知り合いのライター何人かに聞いてみた。みんなどうしてるの?

なかには興味深い回答もあった。

ある女性ライターは「どこそこの媒体で原稿を書きました!読んで!」っていうツイートは一切しません、と言っていた。媒体からお金をもらっているので、宣伝ツイートをするならPRなどを付けないとステマになるから嫌なんだと。

なるほど。ステマになるかは置いておいて、それはそれで面白い考え方だと思った。

彼女が言うには、そもそも原稿料はどこまでいっても原稿に対して支払われるお金なので、「書きました」ツイートまでする義理はないし、もし「書きました」ツイートまで原稿料に含まれるのなら、その金銭的な関係はツイート内にきっちり開示しないといけない、という。律儀な人である。

他にも何人か聞いてみたが、だいたい要約すると「無言のプレッシャーを感じるのでとりあえずシェアする」という回答だった。なんとなくわかる。

個人的に原稿料とツイートは分けて考えていいし、ライターの自由だと思う。ただWeb媒体に顕著だけど、ライターに記事を書いたことをシェアするようにはっきりと指示してくる媒体が増えてきた。そういうときは戸惑う。

これはなんとなく思うことだが、オウンドメディアが多く立ち上がってくるにつれて起きてきた変化のような気もする。まだ媒体に読者がついてない段階では、いろんな拡散方法に頼りたくなる。関係者なら誰でもいい。記事を書いたライターに対してもちゃんと自分で広めてくれって思うのかもしれない。

ただ個人的には、媒体というものは、情報と読者をつなぐまさに“媒介”の役割を果たさないといけないものだと思っている。その媒介としての機能を人任せにしてしまったら、一体何のために存在しているのだろうか。そこは最後まで工夫と努力を重ねるべきではないかと思う。

僕は過去いろんな媒体で人に原稿を書いてもらったけど、ライターさんに「書いた記事をシェアしてください」とは言ったことは、たぶんないと思う。

そこまでは求めていないし、するもしないも好きにするのがいいと思う。「自分のフォロワーにもこの記事をぜひ読んでほしいな」と思ったらシェアしてもらえばいいし、別に響かないだろうなと思ったらしなければいいし…。

あらためて聞いてみたい。ライターのみなさん、どうしてますか?

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この雑文は「書き手と編み手のAdvent Calendar 2019」に寄せたものです。よかったら他の記事も目を通してみてください。


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