底だったはずなのに
「最悪」なんて滅多につかうもんじゃない。そんな悪いこと、そうそうないんだから――。
昔聞いた、誰かのことばが頭をよぎる。たしかにそうだと思うし、実際「最悪」と口にしないようにしていた。でも「最も悪いか」なんて、何を基準に判断したらいいんだろう。この気分を「最悪」と言ったらダメなんだろうか。考えがまとまる気配はなく、重苦しい思考から逃げるように布団を頭までかぶった。
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調子が上がらない。むしろ日に日に身体は沈んでいく。たった数日、家にこもっているだけなのに、すっかり外の世界と断絶されたような、この世に自分しかいないような気になる。悲しいとも、寂しいとも違う、虚しいとか、置いていかれる焦燥感みたいなものなのか。考えようとすると頭の奥が鈍く痛む。眠れないだろうけど目を閉じて、必死に考えないようにした。
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目を閉じて、開いて、何度そうしたかわからない。何気なくスマホで音楽系の動画を漁る。なんでもよかった。なんでもいいから、変化がほしかった。目についた動画を再生した。
知らない人がピアノを弾き始めた。撮影した動画をそのままアップロードしたのか、粗い映像。裏腹に、ピアノの音色は澄んでいた。弾き始めてすぐにミスをして、ちょっと笑って、2回目の演奏が始まった。
知らない曲だった。ただ、すみずみまでよく「聴こえる 」――耳を通して、頭に、身体に、響いてくる。ピアノも、歌声も、歌詞も、自分に「届いている」感じがした。聴こえるとか、届く感覚は多分初めてで、身体もこころも沈んでいる今、その感覚を得ていることがひどく不思議だった。
無意識のうちに、涙が出ていた。ちょっとびっくりして、そのまま声を上げて泣いた。演奏を聴き終えて、身体がふわっと軽くなるのを感じた。底に落ちきって、また浮き上がっていくんだ。そう思った。
*藤井風と、宇多田ヒカルと、音楽に感謝を込めて
time will tell / 宇多田ヒカル covered by 藤井風
20230816 Written by NARUKURU
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