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俺のパスポート 俺だけのジーンズ

服に取り憑かれたように生きている。その原点にあるのがこのジーンズ。

「EVISU」のジーンズ

あの頃僕らは「JEANS MATE」でした

遡って中学時代。中学時代は即ち、「JEANS MATE(ジーンズメイト)」の時代だった。同世代の男性ならわかると信じて、親から買い与えられた「UNIQLO(ユニクロ)」に慣れ親しんだ小学生からの変化、自分で服を選ぶという経験を最初にしたのは「JEANS MATE」、という人が身の回りでは大半だったのではとさえ思える。

当時、自分は服に興味はあったがなにから手を出していいかわからなかった。たしか一応、「JEANS MATE」でいくらか買ったような記憶はあるが、その後着たのか、どうしたのか本当に覚えていない。とにかく、ほとんど服装に気を使わずに中学を卒業した。

そういう意味では同級生と比べて「JEANS MATE」期をまともに経験せずに育ったような気がする。(今思うと、それでよかったと思う。)ともかく、当時の周りのおしゃれ(?)にはあまりうまく付いていけてなかった。

少し話は変わるが、『侍戦隊シンケンジャー』(東映、テレビ朝日、2009-2010)がちょうどこの時期頃の作品なのだが、登場人物の私服姿をぜひ見て欲しい。あんな感じ。戦隊シリーズの民俗学的な資料価値は高い。

アキレス腱ちぎれるほどの背伸び

転機は高校入学前の春休み、兄と大阪に行ったときのこと。いよいよいい歳になるし、服にも気を使いたいだろうと兄が連れていってくれたのが心斎橋近くの「EVISU(エヴィス)」の店舗だった(どの転機にも、どの思い出にもどこかで兄が関わってる)。

ジーンズなら普遍的だし、どのスタイルでも使えるだろう、ということでジーンズ屋を。それでいて、せっかく大阪で買うんだったら大阪ブランドだろうという、ということで「EVISU」を選んだんだと思う。

よくぞ中学卒業したてのガキを連れて行ってくれた。数万円のジーンズ。身の丈そこそこは論外で、中途半端な背伸びも弱い。アキレス腱ちぎれるほどの背伸びをさせておいた方が後々のためになる。ジャック・ハンマーの骨延長手術。勝手にその地点へと自分は自ずと成長する。なんでもそうか。

東京と大阪をまたぐような、俺だけのジーンズ

「EVISU」と言えばカモメマーク。あれは「LEVI’S(リーバイス)」のバックポケットステッチへのオマージュ。そもそも、もとのブランド名は「EVIS」、ただ「LEVI’S」の「L」を外しただけ。本家からのお叱りで現在の「EVISU」へ。確かこんな感じの話があったかと思う。大阪発祥ブランドならではの茶目っ気。さすが「フランク三浦」創業の地。こういう言葉遊びが好きだ。

カモメマークのペンキの色は店舗ごとに限定のカラーがあり(当時、今はどうだかわからない)、大阪のその店舗限定の色は薄紫色だった。おばちゃんの髪の色みたいな薄紫。あとから別の色に変更できるらしいと、兄の提案で片方は東京の店舗限定の色を入れることになった。後日、恵比寿の店舗に持っていき、東京店限定の色を白で仮のペイントをした右ポケットに重ねるように塗ってもらった。真っ青。

左右違う色にしている人も多く見たことがないが、限定色だけを組み合わせているのは特段みたことがない。

自分の家族は自分が生まれる直前まで大阪に住んでいて、自分以外はほぼ関西人という状況で育ってきた。お好み焼きはご飯と食べる。関西で生活したことはないが、家族と話すときはぼんやりとした関西弁になる。在東関西人2世。履く度に東京と大阪をまたいでいるような気分。そんな自分を表すような、まさに自分だけのジーンズになった。そのカスタムを施している人、育ちの背景が同じ人がいないわけではないはずが、間違いなく、自分だけのジーンズになった。

服を選ぶときに、“自分だけの”に惹かれるようになったのは、このカスタムからなのかもしれない。オーダーメイドやマスカスタマイズなどの言葉に目がいくようになったのはこのジーンズのおかげ/せいだと思う。

俺のパスポート、ご隠居様

ここからファッションにはまっていった。

原宿も下北も代官山もおおよそどこでもよく行くようになった。行けるようになった。こいつが「服屋に行くための服」になって、敷居の高そうな服屋にもどこへでも入らせてくれた。どこへでも。

自分のアイデンティティーを代わりに表明してくれる。どこへでも連れて行ってくれる。コルトじゃないけれど、こいつは俺のパスポートだった。

年月を経る度、タンスにはニューカマーが増えていった。増えていく服たちを見て、いくつか見限ろうかと思うことはいままで多々あった。「もう、ちょっと、これ着る気分ものらないしな…」

その時々、「EVISU」が睨みをきかせる。ハッと、「こんな前からある『EVISU』も残ってるのに、後から買ったこいつを捨てるのもな…」と、思い返させられる。

ジーンズはよほどのことがない限り、ダメにならない。タンスのメンバーたちの中で最古参なくせして、まだまだピンピンしている。そんなこいつがご隠居様として俺を監視してくる。生来の気質相まって、他の服もいよいよ手放せない。そんなこんなで、残った服ももったいないから、どうにか今もどこかで着るようにしている。

服を大事にしているのか、させられているのか。結果論だけれども、間違いなく、服を大切にいまもやらせてもらってる。

歳をとるジーンズ


高校の頃は、勝負服として、ワードローブの1軍のトップとして事あるごとに着ていただけあって、地元の親友、タケと片山と撮ったプリクラにも履いてる姿が残ってる。この頃はまだ色が濃い。(落書きは若気の至り。イジるのは野暮です。)

今日もせっかくだからと履いて出かけた。


6〜7年たってはいるが、着合わせはほぼ一緒。成長していないのか。(写真のタイトルは「そういう作品じゃない」です。恥ずかしいので顔は隠していますが、満面の笑みです。)

こうしてみると歳をとったな、「EVISU」。絶対に色落ちしないジーンズもそれはそれとして、服に時間が、自分が刻まれていく様が特別あからさまなだけにこのシワ跡の色落ちたちが愛おしい。

大学に入るころにはポケットの中のガラケーのかたちに色落ちしていた。いまはiPhoneのかたちの色落ちに混ざってしまっている。上書きされていく儚さ。

ずいぶん色も落ちてきた。69からようやく67、66くらいにはなった、「UNIQLO」でいうところの色番の話。東京カラーのペンキの奥に仮書きした白のペンキがちらつくようになった。左ポケットの内側は少しだけ破れている。特別ジーンズを履くスタイルが基本なわけでもなく、どちらかといったらスラックスタイプの方がいまでは好き。たまに気分があうときにだけ履くわけで、1軍かと言われると正直怪しい。

けれども、俺のパスポート。同じく、手放せない。

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