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「死にたい」という気持ち

女性の居場所事業「meguru house」に行きました。

とある成人したばかりの方と話していました。普段の生活で経験しないようなことをたくさんしている人で、「自分は悪いことしてないのに、嫌なことされて、なんで自分には良いこと起きないの?」とポツリと言った。

僕は言葉を探しましたが、少し黙ってしまいました。

今は生きていたいと思う。でも苦しい。

その日は何気なく話をして、ご飯を食べているとふと話をしてくれて聞いていると、「生きたいけど、死にたいって思う。死ねない、今は生きていたいと思う。でも苦しい。」

僕は「そうやんなぁ、苦しいよなぁ。」と言いました。

自分が安心したい、納得したいは傍に。


純粋で、割れてしまいそうな卵のような気持ちに僕は何もしてやれることはないと。痛みも、苦しみもそこからそのまま取り除いてやることはできないと。

それは、後になって、そう思うこと自体傲慢だなぁと反省しました。ひょっとしたら何も言わない方が良かったのかもしれない。

死にたいという気持ち

生きたいという気持ち

どっちも真実で在る。ということ。

どちらかではなく、その狭間で揺れている。
その心、気持ちを僕はただただ見たいと思う。

答えようのない、どうにかしたい気持ちは一度、傍に置いて、今そういう気持ちにいる相手とただただ相見える。

そういう場や人の在り方が在る。

それだけでいいのかもしれない。

自分もあなたも裁かないこと。

ただただ待つこと、

待たされるのではなく。

待つこと。

僕は待っている。

(終わりに)meguru houseについて

女性のための居場所事業を行なっています。緊急受け入れや、食事の提供、相談、その他生活のサポートも行なっています。家賃や人件費など助成金や寄付などをして活動しております。皆様のご支援・ご協力をお願いしております。(画像よりHPへ移動できます。)




サポートを糧にもっと面白く楽しくなるような創作や活動に変えていきます!(子育て支援・児童虐待予防、子どもに関わる分野での活動資金やえほんなど創作活動に当てていきます。)