見出し画像

人に頼るのは大事

 調べたいことがあって、昔の日記を読んでいた。すると、自分が鬱になった時期の日記も出てきたので読んでいた。読んで思ったのは「よく戻ってこれたなぁ」という感想だ。

 日記を読んですぐに思ったのは「めちゃくちゃ混乱している」ということだった。また、仕事ができないことに落ち込んで非常に自罰的な思考になっているし、人の些細な言葉にも傷ついているし、日々考えていることがいろいろさまよってる。

 そして日記を読んで思い出したけど、私は鬱の時、過食の症状が出ていて、直前の時期から20kg近く太ってた(太る前は逆に極端に痩せてた)。当時は非常に強い空虚感を突然覚える時があり、それを埋めようとたくさん食べていた。食べたところでその空虚感が埋まるわけは無いんだけど、「埋めたい!」という衝動が出てくると過食を止められなかった。酷い時には吐くほど食べてた。
 過食が身体にも心にも悪影響を与えているのは自覚していたけど止められなかった。日記を読むに、これは当時の私の自傷行為だと思った。非常に自罰傾向が強くなっていたので、自分をめちゃくちゃにしたい、という衝動もあって過食をしていたようだった。

 家族とは割と頻繁に電話などで話していた。詳細は書けないが、当時は姉もたいへんな状況で、私が鬱になる前は家族の話題は姉のことが一番優先だった。姉のことで疲弊していた家族の状況が、私にも影響していたのもあるかもしれない。
(ちなみに余談ですが、姉は今は結婚して2児の母として幸せに生きております)

 日記を読んで、当時の自分がとった行動で一番の悪手は「人に頼ろうとしないこと」だと思った。自分が心身ともに最悪の状況であることを周りの人に言わなかったのだ。

 当時、弓道部のOB会としての活動や、学生ボランティアとのつながりで人と会って活動することはあった。しかしその時、自分の状況が最悪なことを隠して人と交わっていた。隠していると言っても急に太り始めた私を見て、おかしいと思った人も多かっただろうけど、心配されても私が「大丈夫です」と言ってしまっているのだから、それ以上深く入るのは難しかっただろう。実際、当時私が人から手を差し伸べられたとしても、その手を取ることは無かったと思う。
 弓道部のOB会の活動でも学生ボランティアとのつながりでも、私は年長者の立場でいることが多かったので、自分の後輩たちに弱った心情を吐露するのが怖かったというのもあったかもしれない。

 そんな中で無理やり私に踏み込んでくれたのが親だった。特に父親は実家から当時の私が住んでいるところまで来てくれて話をしてくれたこともあった。私が拒否しても無理やり私の心に上がり込んできた。今思うとたいへんありがたい。 
 私が心療内科を受診したのも父が強く強く勧めたからだと思い出した。父のその助言が無かったら、私は心療内科を受診しなかったと思うので、受診しなかったらどうなっていたか、想像するだけで怖くなる。
 以前の記事で「自分で何とかした」みたいに書いたけど、日記読んだら全然そんなことなかった。めっちゃ人の助けで何とかしてもらってた。


 私には本当に大事なことについては黙ってしまう傾向があるようだ。
 どうでも良いことはべらべら喋れるが、本当に自分が困っていることや大事にしていることは聞かれても答えようとしない。秘密にしようとする。だから私が困っている時も周りの人に知られない。それなのに「誰も助けてくれない!」と嘆く。
 客観的に振り返ったらめちゃくちゃ身勝手で理不尽な言い分だ(笑)。よく今まで生きてこれたな、こいつ。

 私の教訓としては、困った時は人に頼りましょう、ということだ。
 私はけっこう見栄っ張りなので、自分が弱っている姿を人に見せるのはカッコ悪いとかみっともないとか思ってしまいがちだけど、そういってどんどん悪い方向に転んでしまう方がカッコ悪いしみっともない。困っている時は困ってると素直に言おう。
 最近は少しは困った時に困ったと言えるようになってると思うけど、まだまだ見栄を張って隠してしまいたくなるので、そこは注意していた方が良いようだ。


 みなさんも困った時は人に頼りましょう。そして私自身、頼られた時に力になれるように精進します。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!