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私がアイデンティティを感じるもの

 アイデンティティとは、自分自身の何に自分らしさを感じるか、ということだと私は理解しています。
 私は昔から自分のアイデンティティが何なのか分かっておらず、探っているところがありましたが、最近noteを書くようになって少し理解できたように思います。私は自分の思考や思いが言語化されたものにアイデンティティを感じるようです。最近の私で言えば、noteで書かれた文章群です。

 「髙橋 征志」という人間はいくつかの面を持っています。
 仕事においての林業従事者という面、個人事業主という面、友人との間で現れる面、家族との間で現れる面。さまざまな面があります。その内の一つに、こうしてnoteで文章を書き綴る私がいます。
 私はnoteで書いた文章に非常に強い愛着を感じているようです。「ようです」という他人事のような表現をしたのは、愛着を感じていることに最近まで気づかなかったからです。
 noteで文章を書くと、スキをくれる人がいて、コメントをくれる人がいる。それが私にとって非常に嬉しいと感じていますし、自己肯定感も強めてくれていました。そのことに振り返って気づくことで、私は自分が書いた文章に非常に強い愛着を感じていることに気づいたのです。

 時々、私が最初に書いた文章を読んでくださる方がいます。

 けっこう長いシリーズだったのですが、通知などで読んでくださる方が知らされると、私は非常に嬉しい気持ちになっていました。
 この嬉しい気持ちはなんだろうと観察したところ、「私を理解してもらえた」という気持ちであると分かりました。

 実際に読んだ方に理解されたかどうかは別にして、私にとって「自分らしさ」が十全に書けたシリーズとして、上記のシリーズがあります。
 自分の人生にとって重要な局面の時、私が何を感じて、何を重視し、どのような行動を選択したか。それを書き切ったつもりでおり、私としては自分の内面の大事な部分はあそこで書き切ったと思っています。そのため、それを読んでくださった方には「私を理解してくれた」という思いを私が一方的に感じて満足している、ということです。

 上記シリーズ以外でも、私が日頃noteで書いているのは私の内面についての文章です。私が大事にしている、私が大事だと思っていることを日々綴っています。それらを読んでくださっている方々には、感謝の気持ちと親愛の気持ちが強くあります。「私を理解してくださっている人たち」という思いを、これまた私は一方的に感じています。
 逆に、リアルで日々会っている人たち、例えば集落の方々や一緒に仕事する方々の中は、私がnoteで書いてあるようなことを話していない方々も多くいます。それは、私がそういう話をしても関心を持ってもらえない方々です。
 私は、そうした話に関心を持ってもらえないリアルで会っている方々よりも、ネットでしか交流していない、声も姿も分からないnoteを読んでくださる方々の方に強く親近感を感じます。
 この「リアルで会っている人よりも会ったこともない遠くの誰かに親近感を覚える」という一種歪な構造は、私にとって大事なところ、「私らしさ」と言えるものが時にリアルの私よりnoteの文章に表れていてる、と私が感じているからです。


 先日、仕事仲間に誘われてカフェで話をしました。
 彼は初めに私の話を聞いてくれました。私は大学職員を辞めてからの話や、自分が今悩んでいることなどを話しました。
 その後、彼は自分自身の経歴などを話してくれました。
 彼は公務員を約30年勤め、その後退職し、今は田舎に家を買って奥さんと共に住み、田舎で出来る仕事で暮らしています。
 その彼が、面白いことを言っていました。
 自分は表向きに表れる経歴は30年公務員を勤めた、というものだけど、自分はそこにアイデンティティを持っていない。自分は大学生の頃から鬱で、心療内科に行ったり整体に行ったり、自分の心の悩みを何とかしようと公務員の時も含めて同じく30年近くやってきた。表の歴史としては公務員を30年勤めたというものだけど、裏の歴史ではずっと心の悩みをなんとかしようともがいていた。そして、その裏の歴史こそ自分だという思いがある。そう言っていました。

 私はその話に非常に共感しました。まさに私がそうだと思ったからです。
 私も職業としては林業従事者、肉体労働者ですが、そこを評価されても私は嬉しいと感じません。草刈りの技術が優れているとか、伐倒の技術が優れていると仮に言われても(優れてないので言われることはありませんが)、大して嬉しくないでしょう。
 しかし、もし私が書いているnoteを読んでそれを褒められたら、私はすごく嬉しいと感じて、その褒めてくれた人にとても感謝すると思うのです。
 私にとっての彼の裏の歴史、私がアイデンティティを感じるところがnoteの文章だからです。もっと正確に言うと、自分の内面を言語化して表現したものに私はアイデンティティを感じているのです。


 noteを始めることで、自分の内面を綴り、公開し、それに反応をもらう、という一連の流れを経験しました。そうすることで初めて自分が何にアイデンティティを感じていたのか気づけました。自分の知らなかった自分が知れるのは私にとって非常に楽しいことです。ますますnoteにのめり込みそうです。
 しかし私は、どうしてこうも金にならないことにばかり熱中するのかなぁ笑


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!