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私だからこそ発せられる言葉がある、という気づき

 昨日は徳島県で開かれた以下のセミナーに参加した。

 徳島の篤林家 橋本光治さんの山林を、全国で環境改善活動をされているNPO法人地球守代表の高田宏臣さん、全国で生物多様性保全活動に取り組むコモンフォレストジャパン理事の坂田昌子さんとで巡り、その後3者による講演会が行われた。

 私は自分の環境改善活動の技術向上のため、高田宏臣さんのお話を聞きたくて参加したのだが、参加して求めていた以上のものの気づきや学びがあった。

 まず、求めていた技術向上について。
 セミナーの午前中は高田さんと山を巡り、環境悪化が起きている個所の解説、そしてそれを改善する技術の実践が行われた。環境の善し悪しを見る時の視点と改善技術について学びがあったが、詳細は省く。
 専門的になりすぎるのと、私自身がまだ消化しきれていないため、間違った情報になりかねないからだ。力不足で申し訳ない。

 次に、求める技術のレベルと自分の力量との圧倒的な差について。
 高田さんから「あそこが○○という風になっているでしょ。それはその上の箇所の環境が悪化しているから」や「植物の根がこういう風になっているのは○○が悪くなっているから」といった解説が行われるたびに「なるほど」という思いと「私にはそれ(環境の状態)を見抜く力が圧倒的に足りない…」という思いが生じた。
 私は環境を改善する技術さえ習得できれば環境改善活動をできると思っていたが、そもそもその環境がどういう状態で、悪くなっているならどこがどう悪くなっていて、その悪くなっている原因が何か、ということを見抜ける力が無ければ話にならないことが分かった。そして私にその「見る力」が圧倒的に足りないことも分かった。
 これには絶対的に経験が必要だ。高田さんは全国の被災地で活動しており、また未だ残っている素晴らしい環境を目にして、環境状態の悪い状態も良い状態も共に見てきている。その経験は今後もどんどん増していくだろう。
 対して私は、環境改善活動はせいぜい月に1,2度くらいの機会しかない。経験を増やす機会が圧倒的に足りないことに焦りを感じた。ネガティブなものではあるが、自分の力量の足らなさについての気づきだった。

 そして、セミナー以外から得られたものについて。
 セミナーの内容自体が実践的だったこともあり、参加者の方々もそれぞれのフィールドで課題を抱え、その解決策を求めて来ている方々が多かった。そのため参加者の方々自体のレベルも高く、参加者の方々と話して得られた気づきも多かった。

 その気付きの中で最も大きいものは「私だからこそ発信できる言葉があるかもしれない」ということだった。
 ある参加者の方と話していた時、「多くの人は技術を磨いて、一流にならないと人に教えられないと思っている。でも、ある程度学んでいるその段階の技術を欲しがっている人もいる。自分では大したことではないと思っている技術も、欲しがっている人がいる。そういう人には一流の人よりそのレベルにあった人がその技術を提供した方が良い」と言われた。
 これを聞いて私はハッとした。
 私も環境改善活動をするなら、高田さんのようなレベルにならないといけないと思っていた。だからこそ、上記で述べたような力量の差を知った時、焦ったのだ。
 でも、高田さんのレベルには及ばなくても、一般の方よりは知識と経験はある。だから私が語れること、提供できる技術もあるかもしれない、と思った。

 また、それとは別に「自分にも語ることができることがあるかもしれない」と強く思ったことがあった。それは私自身の生きざま、人生についてだ。

 私は多くの人が選ばない選択をしてきたこともあり、普通は出会わないような人にも多く会ってきたと思う。その中には、本当に素晴らしいと感じる人生を歩まれている方も多くいた。 

 その方々と比べると、私は実に怠惰で、真剣さが足りず、浅ましいといつも感じていた。だから、私が人様に何か語れるようなことなどないと思っていた。
 だけど、その参加者の方と話していて思った。この怠惰で、真剣さが足りず、浅ましい私だからこそ発せる言葉があるのではないか。そして、高潔な人たちの言葉でなく、浅ましい私の言葉だからこそ届く人たちもいるのではないか、と。
 打ち捨てられ、価値がないと見做されている立場だからこそ発することができる言葉があるのではないか、という直感なのだが……。この気づきは今はこれ以上うまく言語化できない。だが私にとってとても大事な命題のように思えるので、今後も考えていきたい。


 さて、私は技術は足りないとはいえ、今後も環境改善のための技術を磨き、経験を積むことはしていきたいと思う。また、そうやって歩んでいく中で、足掻いて悩んで苦しんでいくこともあるだろうが、そうした中でこそ発せられる言葉も探していきたいとも思う。
 そのために「諦めない」「生き延びる」の二つがとても大事だと強く思った。

 人格的にも技術的にも何もかも未熟な私だが、それらを少しでもマシにするための歩みは止めてはいけないだろう。もし歩みを止めてしまえば、私は言葉を発する資格を失うと思う。もしくはその言葉は誰にも届かなくなる。
 どんなに歩みが遅くても、成長が感じられなくても、歩み続ける。「諦めない」ことが必要だと思った。
 また、その言葉を発し続け、歩み続けるには、「生き延びている」ことも必要だ。人生が終わってしまっても歩みは終わってしまう。そうなっても言葉は発せられなくなる。

 「諦めない」とは精神的な面での、「生き延びる」とは肉体的な面での生を表しているように思う。心と体、どちらも折れないように歩みを続けることが必要だ。


 人は自分がなすべきことが明確になると前向きになるのかもしれない。自分の人生に必要なことが以前より明瞭になり、セミナー後、私は少しの高揚感と大きなやる気を感じていた。


 本日は以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました!
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