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反射的な快・不快の反応による無意識の差別について

 最近、とあるTRPG配信を視聴していて、我ながら衝撃的なことがありました。
 その配信では、ある女性の参加者の方がオカマ(この表現はもしかしたら差別的かもしれないですが、分かりやすさを優先しての表現です。御容赦ください)のキャラを演じていました。そのとき、その女性参加者がボイスチェンジャーを使って声を男性のように低い声に変えて演じていました。その声を聞いた時、ほとんど反射的に「キモっ」という不快感を感じました。
 普段のその人の声で話している時であれば、おそらく肯定的に聞けるその人の話も、そのボイスチェンジャーで変えている時はずっと不快に感じてしまい、聞きたいとも思わないし、話の内容も肯定的に受け取ることができませんでした。
 同じ人が話しているのに、声を変えただけでこれほど私が相手に対する反応を変えるのか、と自分自身驚きました。

 そのことから、私は普段、人の話を聞く時に相手の話の内容を理解するより前に、相手の声によって話を肯定的に聞くかどうかを無意識に判断しているのだと気づきました。もっとはっきり言えば、相手の声によって私は相手を差別しているな、と気づいたのです。
 そしてその差別を普段、私は全く意識しておらず、あたかも自分が物事を理性的・客観的に判断しているのだと思い込んでいることに気が付いたことが一番の衝撃でした。

 なお、私が「差別」という厳しい言葉を敢えて使うのは、声というものがほとんどの場合変えようがない先天的な属性であり、かつその人の人格や考え方に関係ないものであるにもかかわらず、私が声という属性の違いによって相手の話を聞こうとするかどうかという判断を変えてしまっていることが、理不尽な反応であると感じるからです。


 今回の件で分かったのは、私はその人の話を聞く時、その人の話の内容そのものより、それ以外の属性(声・見た目・性別など)によってその人の話を理解しようとするかどうかを変えている可能性がある、ということです。

 ただ、今回は普段の声を知っている人がボイスチェンジャーで声だけ変えて話すという分かりやすい比較対象があったため、自分の無意識の差別に気づくことができましたが、声以外の属性において私が差別していたとしても私は気づけないかもしれないな、と思いました。
 そう思って、私がかつて肯定的に感じた人の話について、もしその人が私にとって不快な声をしていたり、不快な見た目をしていた場合、同じようにその人の話を肯定的に受け止めていただろうか?あるいは逆に、私が否定的に感じた人の話について、もし話している人が綺麗な声であったり、イケメンボイスであったり、容姿が優れている人であった場合、同じように否定的に反応していただろうか?と過去の自分を振り返ると、同じ判断をしていたと自信を持って言うことはできませんでした。


 今回の件で、私が普段何気なく判断している様々なことについて、無意識に差別的な判断を下していたり、判断基準が非常にいい加減(相手の属性に容易に影響されるという点において)なものであることに気づかされました。
 人や物事に接した時、私は瞬間的に快・不快を感じてしまいますが、その快・不快に対して自覚的でありたいと思いました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!