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出家未遂した男のその後(未完)

 貧して鈍していた私に友人からとある交流会のお誘いがありました。

 その友人は大学院博士課程後期の大学院生で、教育学を専攻している学生でした。その友人や、その友人の友人の繋がりで集まったさまざまな分野の方が集まって食事会をする、という20名弱の交流会をするから参加しないか?というお誘いでした。
 心が鈍っていた私ですが、それでもその状況を何とかしたいと思っていたのか、はたまたただの気まぐれか、その友人の誘いに応じて交流会に参加することにしました。

 その交流会のでは初対面の人ばかりだったのですが、私は時間を忘れてその人たちと話し込んでしまいました。
 大学院生の学生、学校の先生、森の幼稚園の園長先生、農業従事者などなど、本当に多様な立場の人たちがいらっしゃっていました。教育関係者の方が多かったからか、子どもや教育に関する話題が多かったです。私も仏教の立場や前職の大学事務職員の立場から、思うところがあったのでたくさんお話をしました。

 その中で、竹田さんという方と知り合いになりました。その方は半農半X的な生き方をしていらっしゃる方で、私が高田宏臣さんの土中環境という本を読んで感動した、みたいな話をすると竹田さんもその本を知っていて、とても話が合いました。
 ちなみに竹田さんもnoteを書いていらっしゃいます。

 竹田さんは「土中環境」とも関係性のある「大地の再生」という自然環境改善の技術の勉強もされていたので、私はその話を非常に興味深く聞かせてもらいました。

 そしてその後、竹田さんから、大地の再生の技術の実践と普及をされている代表の矢野 智徳 氏をお呼びして講座を開くから参加しないかと誘われました。
 お金を稼ぐことでいっぱいいっぱいで、仕事の合間に自然環境改善のための技術を学ぼうと思いつつもできていなかった私は、「やっと私がしたかったことに近づける!」と喜んで参加を希望しました。
 すると、なにがどうしてそうなったかよく分からないのですが、いつの間にか講座を行うスタッフ側に組み込まれていました(未だになんで私がスタッフ側に回ったのかよく分かりません。狐につままれました)。

 なんにせよ、そうして「「杜人」に学ぶ大地の再生 呉講座」は無事?開催されました。

 私はこういうイベントのスタッフ側をしたことがなく、また、大地の再生という技術については全く知らなかったため、私個人として反省すべきことは多々ありましたが、矢野さんの技術の実践を目の当たりにしたのはたいへん勉強になりました。
 また、他のスタッフの方々も独自でフィールドを持ったり活動をされている方々ばかりで、そうした方々ともつながりを持てました。中には矢野さんと共に何年も環境改善活動をしてきた方もいらっしゃいました。
 そうしたつながりから、その後も環境改善活動のイベントのスタッフとして参加したり、実践の場に参加したりする機会が増えてきました。「環境改善の技術を学ぶ」という当初の目的にようやく近づけてきたのでした。

 さらに、そのとき繋がりができた方の中に林業を生業にされている方がいました。その方は個人事業主同士でグループを作り、その時々にある仕事をそのグループのメンバーでシェアしている方でした。
 その方は将来的には環境改善活動も収入を得る活動にしたいという目標を持っており、私が林業に足を踏み入れたときの「山の保全を生業にする」という目的と同じ志を持った人と出会ったことに感動しました。
 その方から、時々仕事を斡旋してもらえるようにもなりました。

 こうして、金にあくせくするだけのくたびれた生活をしていたところに、ようやく光明が見え始めたのでした。


 さて、これでこの一連の話はおしまいです。
 これが創作の話なら、何らかのエンディングがあるのでしょうが、この話は未だ続いている私の人生の話なので、切りのいい終わりがありません(笑)
 終わる時は私の人生が終わる時です。林業は死亡率が高くて全産業の平均の10倍以上なので、仕事中の事故死が一番可能性が高いですね。

 自分で言うのもなんですが、けったいな人生だと思います。 
 こんな変な人生を生きてるやつが世の中にはいるんやでぇと何かの爪痕を残したくて書き始めました。そしてこんなけったいな奴がおるんやということが、誰かの何かの役に立てばいいなぁとも思って書いていました。

 ここまで読んでいただいてありがとうございました。
 生きていたらまたお会いしましょう👋