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世界を聴く

 最近、「視覚より聴覚を優先させる」という身体感覚で遊んでいます。
 「視覚より聴覚を優先させる」ということを発見できたのは、今読んでいる『気流の鳴る音』という本に「世界を聴く」という表現が出てきたからです。

 まだ最後まで読んではいないのですが、今読んでいる章では、ネイティブアメリカンの呪術師ドンファンの元にアメリカの若き人類学者カスタネダが弟子入りし、ドンファンの世界観や世界との関わり方を学んでいる様子が描かれています。
 その中でドンファンはカスタネダに世界を一つの捉え方(世界観)だけで捉えるのでなく、複数の捉え方を学び、そしてそのどれにも完全には沈溺しないようにと教えます。そしてそのための方法として、「世界を聴くこと」をカスタネダに教えます。

「わしらは生まれたときから物事を判断するのに目を使ってきた。わしらが他人や自分に話すのも主として見えるものについてだ。戦士はそれを知っとるから世界を聴くのさ。世界の音に聴きいるんだ。」

『気流の鳴る音』 Ⅱ「世界を止める」―〈明晰の罠〉からの解放 より

 このドンファンの言葉を著者の真木 悠介 氏は、「群盲象を撫でる」の寓話を用いて以下のように補足します。

メクラたちの世界(引用者注:盲人が像を撫でて感じた象の姿のこと)がそれぞれカッコに入った「世界」であるように、われわれの世界もまたカッコに入っている。にもかかわらず、この寓話が、一般にそういうふうに読まれないのは、目の世界が唯一の「客観的な」世界であるという偏見が、われわれの世界にあるからだ。われわれの文明はまずなによりも目の文明・・・・、目に依存する文明だ。

『気流の鳴る音』 Ⅱ「世界を止める」―〈明晰の罠〉からの解放 より

 私はこの文章を読んで「おおっ!」と軽く衝撃を受けました。確かに私自身、非常に目に偏って世界を見ていると気づいたからです。そして目に偏って捉える世界は、非常にいびつなものでは無いかとその時思いました。

 そう思って、私は早速、ドンファンがカスタネダに教えた「世界を聴く」というのをやってみようと思いました。視覚よりも音を聴くことを優先することです。
 ちょうど、この気づきを得た頃に野土で環境改善活動が行われたので、作業中になるべく「聴く」ことに集中して作業を行いました。すると世界の捉え方が確かに変わりました。
 「見る」ということを主にしていると、当然ながら自分の視界に映る世界、つまり前方にばかり気が向きますが、「聴く」ということを主にして見ると、前後左右に世界が広がりました。「聴く」でも一つの音に集中するとまた違いますが、私はなるべく多くの音を拾おうと思って聴くことに集中していたので、遠くの音、後方の音、そうしたものに気づくことができました。

 聴くことに注意を向けていると、私が普段生活する中で自分の側面や後方に意識が向いてないことに気づけました。見えていない世界は認識しておらず、認識していない世界は私にとって「無い」も同じように扱っていたのです。
 聴くことに集中し、時に目をつむって音を聴いていると、世界は前後左右非常に広がりを持っているという当たり前のことに気づけます。また、遠い音や近い音があることから、自分を中心に広がる世界の距離感というものも実感として感じられました。さらに、川の水の流れる音、鳥の声、草を刈る音、風の流れなどの音を聴くことで、目だけでは感じることができないさまざまな存在を感じることができました。それは、目で見ているだけの世界とは感じ方が大きく違ったので、非常に面白い体験でした。

 また、副産物のようなものですが、聴くことに注意を向けると頭のおしゃべりが静かになりました。「全身モード」になったときと似た感じです。
 全身モードでは頭に意識が偏っていたのが全身に注意が分散することで、頭に過剰なエネルギーが向かわず静かになったのですが、聴くことに集中することでも頭への過剰なエネルギー供給が止んだのは不思議でした。
 以下は私の推測ですが、「見る」と言うこと自体が頭への過剰な意識を向ける行いになるのではないかと思います。
 視神経は脳神経と非常に関わりが強いと聞いたことがあります。このことからも、「見る」という行為自体が脳偏重の意識に偏らせる効果があるのかもしれないと思います。

 ともあれ、聴くことに注意を向けることで、今までと違う世界の捉え方ができ、かつ頭のおしゃべりも静かになる効果があったので、私にとって非常に有益な方法であることが確認できました。

 私が学んでいる環境改善技法である「大地の再生」では現場の状況を五感で感じるように言われます。今回私は視覚に加えて聴覚に注意を向けることができたので二感です。以前見つけた「全身モード」で感じている身体の感覚というのは触覚に類する感覚なのでこれで三感。残り嗅覚と味覚についても、今後注意を向けて感覚を鋭くしていきたいです。
 聴覚や触覚に注意を向けて見える世界というのは視覚だけに頼った世界とはかなり雰囲気が違いました。視覚以外の感覚に注意を向けて世界を捉えることは有益である、ということもありますが、そもそもその捉え方の世界が面白いということがあるので、これからも視覚以外の感覚で世界を捉える訓練を続けていきたいと思いました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!