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エチオピア旅行記(1)出発

毎年、大掃除もせず新年を迎えるズボラな私ですが、今年はお正月をちょっと過ぎてから汚部屋を思い切って片付けました。 ずっと視界に入りながら、見なかったことにしていた埃まみれのCD-ROMにようやく手をつけたときでした。時が止まったように中身の写真を確かめていると、20年前の生意気な自分が語りかけてきたのです。「あら、久しぶり」。これは手強い相手だと思いました。私は家を出て近所にある公立図書館に行き、「パソコンデスク」という名の自習席を借りて整理を始めました。

いつも世話になっております

20年前、私は大学院生でした。確か博士課程の一年目だったと思います。変な人ばかりでしたが、とても充実した毎日でした。「君の方法論は何だ?」と上級生に揶揄われて、ドキドキしたことが蘇ります。方法論なんて持ち合わせていなかったけれど、真面目だけが取り柄でした。ちょうど初めての恋人ができて有頂天だった頃でもあります。遅くやってきた春でしたが、あのときなぜかとてもモテたのです。ああ、そうだ、人をひどく傷つけたりもした。だから、バチが当たったんだ。前日に急に体調を崩して這々の体で成田空港に向かったのを思い出しました。記憶が別の記憶をどんどん呼び戻します。ひどい嘔吐と下痢は止む気配がなく、私はすぐにトイレに向かえるように飛行機の通路側の席を選びました。ほとんど飲まず食わずで眠りこけ、カイロに辿り着いたとき、蒼白だった顔色はすっかり元気になっていました。日本の神様もここまでは追ってこれまい。そんなふうに毒づいたかもしれません。

カイロのショーウィンドウ
エジプトでもクリスマスに期待する子供は多いのでしょうね

さて、四日経つと、私はまたカイロ国際空港に向かいました。目的地はさらに南のアディスアベバだったのです。「エジプトは発展し過ぎた。だから今回は用無しさ」。         百年前、西欧列強に追いつくために近代化に躍起になっていたころのエジプトは、国土の南端にあるアスワンにダムを建設しました。その結果、水利と発電を手に入れたけれど、原風景の喪失という取り返しのつかない代償も払ったのです。それは、ナイル川の脈動を禁じ、上流から肥沃な土壌を運ぶ洪水を封じるものでした。そして、「洪水季」、「播種季」(冬)、「収穫季」(夏)に分かれていた季節は失われてしまったのです。とりわけ、小高い丘の町々や神殿が水浸しになって点々と島に変わる洪水季に永遠の別れを告げるのを惜しんだ人も多かったでしょう。20年前ならば、その光景が脳裏に残る現地のお年寄りは少なからず健在だったはずです。

大都会のカイロ
アフリカ諸国のうち、人口二億人のナイジェリアに迫るのが
エジプト(一億人)とエチオピア(一億人)なのだとか
*この通りの名前をご存知の方いますか?いろんなことをすっかり忘れてしまいました

そうして、高度に近代化された灌漑によって、多様だった自然環境はがらりと変わりました。カバやワニが姿を消しただけでなく、パピルスの原料となるカヤツリ草もエジプトではもう自生していません。しかし、そんな原風景が残る場所があります。ナイル上流にあるエチオピアです。私はかつてのエジプトを目にできないものかと、エチオピアを旅するのがずっと憧れでした。もとより、世界で初めてキリスト教を受容した国のひとつ、アフリカで唯一植民地支配を逃れた国、アフリカ連合本部の所在地、つい50年前まで皇帝が存在した君主国と聞けば、エジプトの残影を追うまでもなく、この国そのものに俄然興味が湧くというものです。

カヤツリ草もナイルワニもカバも東山動植物園で出会えます
ナイルワニはいつもこんな風にクタ〜っとしてます
飼育場はガラス天井なので夏に行くと恐ろしい暑さと湿気でクラクラ・・・

向かった先のアディスアベバでは、ロンドン在住の友人アンディーと待ち合わせることになっていました。無理をしてまで日本を発ったのはこの約束のためでもありました。彼は私よりもずっと博識で、世界中の国と首都の名前を記憶する変人でした。同い年の私とアンテナの張り方が似ていたのでしょうか。なんの気無しに「エチオピアに行ってみようかなあ」と呟くと、「俺も行きたいと思ってた」などと言うのでした。

(つづく)

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