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明日へのLasson

昨日、2023年2月2日の朝日新聞、教育欄に『明日へのLesson』という題で、
人類に贈る「超人」への夢
フリードリッヒ・w・ニーチェ
ツァラトゥストらはかく語りき(1884~85年)
週1の連載記事で今回が第1週である。

私は高校卒業後2年農業と、父親が事業をしたいと「あれが良さそうだこれが良さそうだ」といろいろ手を出しては「どうも性に合わない」と放り出していた事業にこき使われていた。
そのころはリンゴを栽培すると言い出して、畑に大きな穴を掘るように命じられた。川中島平では手でかき分けた穴に植えた苗でも十分に育つ苗も、生家のあたりでは耕土が浅い。深く掘って底には木屑その上に堆肥をたくさん入れてリンゴの苗を植えるように幾日もかけて穴をたくさん掘った。
穴を掘っただけで、その翌年の正月になってから「大学へ行け」と父が言う。2歳下の妹(長女)が高校を卒業して、長野の善光寺の前に新しくできたデパートに就職が決まった。長女の給料を当てにした父の「獲らぬ○○○の皮算用」である。
妹の給料で私が大学へ行けるわけがなかった。私が長男妹が3人続いて弟その下に妹、と6人兄妹だった。私が抜けてしまったら下の妹弟にも事足りなかろう。
いかし何を言っても絶対に聞き入れない。
聞く耳を持たない父に絶望しきっていた私は、母が「父さんが行けというのなら行きなさい。下の子たちだって1年ごとに大きくなって助けてくれる」と言うのをいいことに家を出て大学の二部(夜間部)へ入学した。
(私が家を出た後、せっかく掘った穴もそのまま埋められてリンゴの苗は植えられたという。体に良くない農薬で消毒をしなければならないのを嫌って、放り出してあったので一度も出荷できる収穫はなかった)
終戦後11年目だったそのころ、水道橋からすぐ近くの学舎は古びたビルだった。教授が「少し前までは水道橋から学舎が丸見えで、間に高い建物は皆無だった」と言っていた。
三崎町から神保町の間の古本屋で、店の前の台に表紙の取れそうな古本が一杯に並べられていた。
パン1個より安い本が嬉しかった。そんな中に『ツァラトゥストらはかく語りき』はあった。
言葉は難しくなかったが、何を言っているのか、何の例えなのかさっぱり解らなかった。
今でもはっきり覚えているのは、
「若者が野原(牧場?)で寝ていると蛇が喉に咬みついた。苦しんでいるその若者にツァラトゥストラは大声で叱咤した。咬み切れ!その蛇の首を咬み切れ!。苦しみながらも若者は蛇の首を咬み切って飲み下した。そして若者はからからと笑った。その笑いは人のものとは思われなかった。」
この文章通りではないかもしれないが、今も覚えている。
「乗り越えるのだ。苦しみから逃げないで乗り越えるのだ!」
パン1個より安い本で、ニーチェからいただいた励ましだった。
                      2023年2月3日

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