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美しい季(とき)その二

   

鳴沢 湧

 

 今は花の種類も花の数も一番多い季節だ。足が弱らないように、雨が降らない限り毎日数千歩は歩いている。

 二年半ばかり前に、ほんのちょっとした坂道で左膝の外側の筋が引っ掛かってほつれたように「ギクッ」とした。

 その後、時々痛むときがあって、整形外科医院で診てもらったら「歩くのは半分くらいにして、ストレッチで筋肉を鍛えるように」と言われてしまった。

 せっかくの美しい季節に家の中にくすぶっているのは残念なので、歩数は減らしているが、半分というわけにはいかない。

 四千歩くらいで帰ってこられるところに、公園が五か所くらいある。公園への途中の家の庭に花木や草花がたくさん咲いていて、目を楽しませてくれる。

十年も前だったか、見通しの悪い公園で犯罪が何件か続いたことがあった。小山市内でのことではなかったのに、低い潅木は伐られ、高い木は全部高いところまで枝打ちされた。 

あれから十年余りも経っただろうか。スカスカだった公園の高いところで枝が茂り、若葉が青葉に変わっていく様は見事だ。

風通しのいい地上には花壇が作られ、ボランティアの手で綺麗に管理されているところが多く、いつも目を楽しませてくれる。いい公園になった。


30代で会社勤めだったころのことだった。国道4号線は狭く交通量が多く運転手のマナーもまだ悪かった。
 前を走っていたトラックが渋滞で急にスピードを落としたトラックに追突した。最初に追突されたトラックは十メートル余り突き飛ばされたが、突き飛ばしたトラックはわずかにスリップしただけでその場に停まった
 その後を走っていた私の車はは十メートルあまり路面にタイヤの焦げ付くような跡を残して停まった。
 ハンドルに体を圧しつけられながら力いっぱいブレーキを踏んでいたので、両肘が曲がったままで固まってしまった。パトカーが駆けつけて、「ズーっと後ろまで車が詰まってしまった。この車を脇へ寄せろ」と言われても、運転席が前にずれてハンドルに挟まれていたので、身動きが取れなかった。

後ろに停まった車から降りてきた人たちに助け出されて、道端に座り込んでいたところへ救急車が来て病院へ運び込まれた。
 十三日ばかり入院して、さらに十日くらい休暇を取ったと記憶している。その時の後遺症で気圧が変動すると首から肩、両腕の肘までが痛む。痛みを、軟膏を塗布したり、鎮痛剤を飲んだりしておさえている。
 薬を使っても両肘が痛むので杖が使えない。
 痛みは一生の道連れ、堪えきれない痛みを薬で抑えながらも長生きさせていただいている幸せを感謝しながら楽しんでいる毎日である。


思い返せば、感動するような美しい景色をたくさん見てきた。

小学校高学年のころだったと思う。朝起きてみると、三十センチもの雪が積もっていた。まっさらな雪の道を歩いてゆくと、崖の途中を削って付けた道の曲がり角に出た。

道路の右側は二階の屋根から見下ろすくらい低いところに川が流れていた。丁度陽が射してきたばかりで、眩(まばゆ)い雪の中に流れる川は墨絵のように黒く見えた。

雪の中では川が黒く見えるのだ。

床の間に時々掛けられる、掛け軸の墨絵を思い出して佇んでいると、自分が墨絵の中にいるようだった。黒く見えるのは川底の石や砂だった。流れる水には色がなかった。

突然翡翠(かわせみ)が視界に飛び込んできて、小さな流れを乱した。

翡翠(かわせみ)の色は鮮やかな翡翠(ひすい)の色だ。翡翠が見えたのは一呼吸くらいの間だった。


妻が、今年の秋ごろ、今一度郷里を見ておきましょうと言うが私は、はっきりした返事をしていない。

郷里は、私の胸の中にあればいい。


気が進まなかったが妻に誘われて自分の郷里と妻の郷里を訪ねて墓にも参ってきた。

https://note.com/naru797574/n/naaf2613fa482


洗礼を受けてまだ一年か二年目のころ、目黒の講堂で高名な牧師のお話を聞かせてもらうように教会の仲間たちが勧めてくれた。その講堂は目黒川に近いところにあった。

丁度桜の花が満開だった。目黒川を挟んで続く桜並木は見事だった。

昔務めていた会社の本社から近いので、何回も通ったことがあったが、これほど見事な桜並木だったとは思わなかった。本社に勤めていた時から五十三年も経っていたのだ。

橋の上から見ると川を挟んで両側から伸びた満開の桜の木がトンネルになっていた。木の勢いが良くて枝が伸び伸びとしているように見えた。

花だけではなく、木にも見ごろがあるのだと思う。若木の花、老(おい)木の花、それぞれの美しさがあるのだろう。


一年くらい前、国道五十号線の歩道を東に向かって歩いていた時、数人の外国人が西の空を指して何か話しながらスマホのカメラを向けていた。

振り向いてみると怒涛のような形の雲が夕焼けで真っ赤に染まっていた。見事な夕焼けだった。あの外国の人たちが後年、日本を思い出すとき、心に浮かぶ光景に違いない。

十二年前にイタリヤのフィレンツェへ旅行した。五月二十一日から七泊した。日中は初夏の気候だったが夕方には冷たい風が吹いた。屋上でトスカーナの山の夕暮れを見た。

日本で「暮れなずむ」は春の季語だが初夏の日はもっと長い。イタリヤの五月の夕暮れはもっともっと長い。とっぷり日が暮れて夜になったと感じるのは十時になってからだった。風が冷たいので、部屋に入って窓からゆっくりと山の色、空の色が変わり、街の灯が燈っていくのを見ていた。

遠い他国の夕焼けは美しい思い出の景色である。


美しい景色も見る時の心が向かなければ見過ごしてしまう。

「一番美しい季節」は心の中にある。

令和二年六月 記 

題「一番美しい季節」


 太字の部分を書き足して掲載します。

二〇二二年六月二十五日

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