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三島由紀夫の小説など【その4:三島式全体小説(『豊饒の海』―『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』)】(膨張する本の記録―【シリーズ1】昔読んだ小説類の記録11)

4.三島式全体小説、『豊饒の海』

まだ山梨の甲府の大学に勤めていた頃だから2005年以前のことになるが、奈良県の信貴山の宿坊で小さな研究会を開催したことがある。
恐らく、その頃の定番ルートを辿って、甲府から身延線というローカル線を走る特急ふじかわという列車に乗って、下部温泉を通り、身延、内船(うつぶな)と、富士川の緑色の流れを見ながら、ゆっくりと進んで、富士宮と新富士を経て、静岡に出、そこから新幹線のひかりかこだまに乗り換えて京都で降り、近鉄で奈良まで行ったに違いない。
但し、記憶が定かではなく、あるいは新幹線で名古屋まで行き、名古屋から近鉄特急で奈良に向かった可能性もある。
あるいは、その頃はしばしば、甲府から北上し、塩尻で乗り換えて名古屋に出る、というルートも時々使っていた。
というわけで、結局甲府から奈良まで、どのように行ったのかについては、記憶が曖昧であるが、はっきりしているのは、奈良から、間違って桜井線の列車に乗ってしまったことである。
かなりローカル線的な風情が漂う車内は、しかし満員で、私はロングシートの一席を占めて、ここからいよいよ大和なのか、といった感慨に耽っていた。
奈良の次が、京終と書き、きょうばてと読むのに感心したが、その駅を出ると急に不安になり、隣の席の人に、王子へ行くのはこの列車で良いのかと、聞いてみた。
確か、行けるかも知れないが、ひどく遠回りになる、とかいうことであった。結局、奈良に戻って、本来の路線に乗り換えた方が良い、ということであった。
私は慌てて、次の駅で降りた。
そこは、小さな、と言うより、誰もいない無人駅であった。
「帯解(おびとけ)」と、駅名が出ていた。
その頃は、今程ネットが発達していなかった。タクシーの電話番号が何処かに出ていないか調べたが、無人駅の極小の待合室らしきものの中に、そんな案内は全く出ていなかった。
元来た方の時刻表を見ると、数十分後に列車があった。それでも幸運な方であった。
次の列車で再び奈良に出、今度は正しく、法隆寺を通る路線の列車に乗ったが、私一人大幅に遅れ、少人数の研究会故、予定をぶち壊しにしてしまった。

この帯解という、少しエロティックな駅名が、三島由紀夫の『豊饒の海』第一巻『春の雪』に所縁のある地名であることには、その後すぐに気付いた。
何か気になり、あるいは何となく覚えているような気がして、早速調べてみたせいだ。
『春の雪』の終盤、松枝清顕と相思相愛の仲になった綾倉聡子は、懐妊の後、最終的に清顕を拒絶し、月修寺という寺に入って尼となる。
清顕は、雪の中、月修寺を訪ね、聡子に会おうとするが、彼女は最後まで拒絶し続ける。それがもとで清顕は死に、第一巻は終わる。
この月修寺は、三島が虚構の小説のために作った、架空の寺であるが、この寺の所在地が、大和の帯解なのである。

ただの偶然であるが、この小説のあまりにも悲痛な結末は、物語そのものの象徴として、私の心の中に残った。

個人的な記憶では、三島の『豊饒の海』は、その死から数えて四年程経った、高校一年の時に読んだ。
 
大学受験にとって重要な高校時代を、私は全く怠惰な生徒として過ごした。
大学受験というものを生活の中心に置く他の生徒との間の齟齬が大きくなり、他の怠惰な生徒との交流以外、殆ど誰とも関わることなく、ただ本と音楽とに埋もれて過ごした。
音楽は、数年前からクラシック中心だったが、その頃から次第にジャズにも惹かれ、両方聴いていたが、大学に入った頃から、ジャズの方の比率も高まって行った。
高校にはクラシック音楽が好きな生徒が数人いて、体育の授業でランニングがあると、走りながらブラームスの交響曲を完奏する、などという生徒もいた。

私と並んで飛び切り怠惰な生徒は、大量の詩を書き、数学の先生と授業中議論して授業を潰し、などのことをしていたが、音楽に関してはロック派で、私もつられて少し聴いたが、その頃はあまりに好きになれなかった。後で、もっと聴いておけば良かったと思った。この生徒は、卒業して暫くすると、レコード店の店長になった。
 
その頃読んだ小説の中で断トツ凄かったものは、ジョイスの『ユリシーズ』と、三島のこの『豊饒の海』だった。

『ユリシーズ』を先に読んだと思う。河出のグリーン版世界文学全集で、丸谷才一らの翻訳だった。
『豊饒の海』の方は、図書館にあった箱入りの単行本が綺麗だったので、借りて来て、そのまま短期間で全巻読み通してしまった。読んでいるうちに、湿疹が出来、後半は学校を休んでベッドの中で一日中読んでいたと思う。
衝撃だった。

特に、『春の雪』の最終部分、大和平野に春の雪が降り、その後の顛末。
第三巻『暁の寺』の、文章。
第三巻は、第一巻や第二巻『奔馬』と比べて、確かに、物語としては破綻気味であり、何より面白さに欠けると思う。
物語全体の一種の狂言回しである本多が覗く、ヒロインと、中心の美しい女性登場人物との間で繰り広げられるレズビアンの場面は、強烈な印象を与えたが、少なくとも物語に関しては、その前の二巻程の凝縮力はない。
 
因みに、この狂言回し本多繁邦は、三島の物語世界全体を通じて、一つの最重要モティーフとなって来た、「覗き」を体現する人物であり、三島における、いわば「覗き哲学」を集大成する人物である。
前に紹介した『午後の曳航』も、主人公の子供が、母親と「英雄」との、毎夜の性の営みを、箪笥の引き出しの中の覗き穴から覗いている場面から、始まる。

『豊饒の海』の本多は、歴代の登場人物の「輪廻転生」の観察者の役目を、この小説で負わされているが、『暁の寺』における、このレズビアンの覗きの辺りから、調子がおかしくなって行き、とうとう最終巻の『天人五衰』では、夜の日比谷公園で、見も知らぬ男女を覗く行為を敢行するに至り、警察に見つかって、営々と培って来た、その裁判官としての、退官後は弁護士としての、社会的名誉に、自ら泥を塗るに至る。
 
三島は、「行動」をアピールし、言行一致を説く陽明学を支持し、『行動学入門』といった書物を著したが、その小説の中には、窮極的には覗きにつながる、見ること・観察すること、という要素が、しばしば現れる。

『豊饒の海』(『春の雪』)の冒頭も、確か日露戦争時の、人々の古い集合写真を見る、という一エピソードから始まっている。
 
『春の雪』に関しては、最後の場面の印章の強烈さによって、その前の部分のストーリーも搔き消されてしまった、といった感じだったが、そのストーリーは、しばしば言われるように、殆どメロドラマであり、家庭小説であり、無論「家庭」とは行っても、嘗て日本に存在したのだろう(私には想像も付かない)、「華族」の家庭の物語であり、その設定が珍しく非凡であることは確かながら、しかし、同じ社会的カテゴリーどうしの家族に属する男女が、恋に陥り、情熱に浮かされて遂に女性が懐妊してしまい、いろいろな事情があってその恋が引き裂かれる、というありがちな、平凡な物語でもある。
私は、この「平凡さ」が、物語にとっては、極めて大切な要素であると、思っている。
小津安二郎の『東京物語』も、その物語は、極めて平凡である。何処にでも転がっているような、平凡な人生の断面が描かれるだけである。

しかし、その平凡さが、逆に普遍性の台座となる。
『東京物語』と比べると、『春の雪』の方は、その設定において非凡であり、珍奇とも思われるような風俗や、人々の言動を扱っているが、上に述べたような、家庭を中心とする人間の行動として考えると、非常に平凡極まる物語が、展開されていると言える。
 
『春の雪』と第二巻『奔馬』との間には、輪廻転生つながりの他にも、幾つかのつながりがある。最も大きなつながりは、『奔馬』の主人公である、飯沼勲の父親が、第一巻の主人呼応松枝清顕の実家に、執事として勤めていたことである。
このテロリストの生成と実践の物語における、物語としての凝集力は、凄まじい。
全くスタイルは異なるが、若い世代の大江健三郎による迫真のテロリスト小説「セヴンティーン」や「政治少年死す」を読んで、三島は、ライバル意識を剥き出しにしたのではないか、といったことも想像したくなる。(こういうことを書いている人がいるかどうか、確認していない。)
現世の権力からは見放された人々が、神道系統の新興宗教を興し、社会レベルの世直しの思想とその教えを結び付け、その中の過激分子が政治的テロリズムを構想・遂行するという、テロリズム生成・実践のプロセスを、形象化していて、この小説は、見事である。
 
大江健三郎の場合は言わずもが、しかしながら、このテロリズムの哲学と構想を、三島が実践したかと言えば、それは違っていた。
三島の最期の政治的あるいは精神的行動は、テロリズムではなく、自衛隊へのクーデターの決起の呼び掛けであり、そのプロセスで、少数の者に三島は怪我を負わせたが、暴力そのものを目的としていた訳ではなく、あくまで偶然の出来事であった。
誤解してはらないのは、三島は、晩年の政治的な様々な文章を通じて、言論の自由の価値を重視し、それを日本の文化防衛の要に据えて考えていたことである。
『奔馬』に表現されたテロリズムの政治思想と、三島本人の現実を見据えた政治思想とのどのように異なるのか、三島においてテロリズムはどのように位置付けれていたのか、といった問題は、今後その特に晩年の政治的なエッセイや論文を解読しながら、私自身、理論的に究明して行くべき問題であると考えている。
 
第三巻『暁の寺』の文章を、私は、全体を通読する前から、何年にもわたって、いわば「摘まみ読み」していた。
特に、タイのバンコクの寺―タイトルになった暁の寺―の描写は、時代の流れに完全に逆行するような、凄まじい「美文」であった。
三十歳台後半の三島は、長編作家への挑戦を意識し、その文章からも、嘗ての美文調は徐々に影を潜めて行った。勿論、その文章の本質を成す美文調が、三島の小説から完全になくなることはなく、例えば一見淡々と書かれているように見える上記『午後の曳航』も、他の作家の少々と比べてみれば、凝ったレトリックがあちこちで使われている。
また、同じ時期の『美しい星』のような、サイエンスフィクションの結構を借りた小説でさえ、特にその議論の会話の場面は、劇的で、美文調の表現に満ちている。
同時に、『絹と明察』や『宴のあと』のような小説には、美文調を意図的に排そうとする、三島の意識を見て取ることができる。

ところが、最後の小説の第三巻目において、三島は、このように、全般的にではないまでも、このところかなり避けようと意識していたらしい、美文という癖を、全面開放した。
その物語が本当にあまり面白くないのか、それとも文章の側面に気を取られてしまったせいで、ストーリーを理解するのが追い付かなかったのか、良く分からない。
あるいは、これはしばしば言われるところであるが、この巻において、この四巻の小説全体を支配する哲学としての、仏教の唯識思想の解説、あるいはその三島流解釈が、蜿蜒と講釈されるため、その記述にも煽られて、ストーリーの理解が追い付かなくなった、という可能性もある。
しかし、確かにこの第三巻においても、ストーリーは展開しているのである。但し、そのストーリーは、戦前の日本を舞台とする、第一巻と第二巻のストーリーとは、大きく質を異にする。
つまり、社会全体の弛緩が、小説のストーリーそのものの弛緩と、直結している、という仕組みの存在が、推測される。
 
戦後社会の全体像を相互には交わらない多数の物語の総体を通じて描き出す、というコンセプトに基づく『鏡子の家』という長編小説も、三島の小説の中では、三島としては珍しい実験小説、という評価とは別に、大方失敗した作、として位置付けられている。因みに、『鏡子の家』の中で、主人公の一人、画家の静雄が、風景を見ながら感慨に耽る場面は、やはり三島流美文が炸裂した文章であり、この文章も、私は繰り返し「摘まみ読み」した。
 
『暁の寺』も、戻って来た美文の実験、哲学思想の講釈としての実験、といった実験小説としての性格を持ち、物語としては、あまり成功したものと、見做されていない。
この二つの小説には、似たような謎が、潜んでいるのかも知れない。
 
完全にぴったり来る喩えではないことは、自分でも承知しているが、その暗さ、ある種の破綻、そして暗さの中に覗く引き裂かれたような明るさ、等々の点で、私はこの大連作小説の最後を飾る『天人五衰』という小説と、ロベルト・シューマンの交響曲第二番とを、重ねて考えたくなる。

破綻の中の美、という点では、同じ作曲家最晩年のヴァイオリン協奏曲とも比べられるかも知れないとも思うが、三島の場合は、そういう方向には行っていない、という感覚も、私の中にある。

結局、あくまで私自身の主観的感想で、他人には伝わらないと思うが、こういう感覚も存在する、という意味で、一応記しておく。
 
こういう全体の結末を期待していた読者がどの位いるのかと考えると、極めて疑問になる。
そしてこの感想は、多くの読者の感想とも重なるだろうと、思っている。
しかしながら、三島由紀夫なら、この破壊的な結末を書く権利があるだろう、という風にも、私は感じている。
まさに、「破壊的」という意味で、この小説に勝る作品は、他にあまりないだろうということは、確信を持って、言える。(勝りたい、と思っている作家も、殆どいないだろうが。)
 
しかし、この小説の海―太平洋―の描写は素晴らしく、ヘミングウェイの『老人と海』や、有島武郎の『生れ出づる悩み』における、海の描写と共に、海を巡る、貴重な文学的財産となっている。

輪廻転生の鎖から断ち切られた、あるいは輪廻転生自体が、虚構の世界であったことを示すかのような―しかし、実際のところは、最後まで分からない―、主人公の安永透を見る、語り手の筆致は冷たいが、その破壊と虚無の中で、透自身は、結構幸せなのではないか、と思わせるところが、この小説の不思議なところだ。
この手の、冷酷でありながら愚鈍で、知性がなく、人に嫌われるタイプの登場人物を、三島由紀夫は、飽きることなく造形し続け、常に語り手としては、皮肉で冷笑的な筆致を用いたが、何か、それでも本人は幸福、といった感じが、漂わないではない。
これは私自身の、奇妙な見方に過ぎないのかも知れない。
しかし、『天人五衰』という、能う限り破壊的で虚無的な小説によって、全四巻の壮大な物語が終わる、という、圧倒的な瓦解の感覚の中で、一縷の安心感を私が抱いたことも、確かである。その正体が何なのかは、分からない。
 
見る人本多は、社会的名誉を失っても、自分が見たもの、観察したものの確証を、生涯の最後において確認するために、帯解の月修寺を訪れ、今や権威ある老尼となっている、あの聡子に会う。
三島自身の「花ざかりの森」、『春の雪』、そして『源氏物語』といった、数多くの物語の声の反響の中で、全四巻の壮大な物語は、圧倒的に静かな、終わりを迎える。





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