心理的安全性とか理念浸透とか本当に重要なのか
あけましておめでとうございます!
年始一発目ではありますが、これまで考えてきたことと真逆のことを書きたいと思います。
グーグルが過去に提唱した心理的安全性の重要性に関してや、エンゲージメント向上に必要な理念浸透の話などを無視して、年末考えていたことを書きます。
それは表題にもあるとおり、心理的安全性と理念浸透が思考停止に繋がる可能性があるのではないかという疑問です。もちろんいくつかの文献を読んで書いているのではなく、勝手に考えていたことです。
<心理的安全性の思考停止>
心理的安全性の思考停止に関しては、想像つくかもしれないのですが、いわゆるぶら下がりになる可能性のことをさしています。
「居心地が良い」
「安心できる」
「受け入れてくれる」
「無知無能と思われない」
「組織にとって必要な人と思われる」
そのようなことが心理的安全性を保つ上で、重要だと言われています。もちろんこれにはとても共感します。上記がチームや組織にあると安心して仕事に集中できます。
ただ懸念しているのが、いい意味での危機感が失われる可能性です。危機感というものは個人的には、常に持っておく必要があるものだと思っています。性悪説的にいくと、もし今の組織が潰れた時・組織に放り出された時に、一人で生きていける力があるかどうか。個人として戦えるかどうかを常に考えています。一匹オオカミに近いかもしれないのですが、そのようにギラギラしています。
個人で戦える人はまだまだ日本に少ないと思いますし、私自身戦えるかわからないです。おそらく無理だと思っています。ただ優秀なフリーランスの方は個人で戦い、いろんなコミュニティに接して生きています。
ふと考えました。彼らは心理的安全性が高いのでしょうか?
大枠で見た時にどこからでも引っ張りだこの人は心理的安全性が高いかもしれません。いつでも仕事があり、仕事が選べるので心理的安全性を担保できるかもしれません。ただ反面引っ張られなくなれば終わりです。そのような境界線の中を生きていること自体尊敬に値します。すげーなと。
ただ心理的安全性という状態で例えることは難しいようにも感じました。自分の人生に対して、将来的に楽観であることが心理的安全性なのかもしれません。
ただ組織にいるだけの心理的安全性は間違えれば思考停止になる可能性があるかもしれません。
本当にこれでいいのか?この方向性で良いのか問い続けることが必要なのかもしれません。
もちろん心理的安全性が悪いという意見ではありません。捉え方によっては危ない可能性があるということです。
<理念浸透という思考停止>
理念が浸透している会社は強いと言われています。私自身、同じベクトルで前に進んでいく強さは組織が大きくなればなるほど強くなると思っています。もちろん大きくなればなるほど、いろんな考えの方がいることになるので、ベクトルを維持することは難しくなっていきます。そのために理念という軸を持って、組織を経営することは理にかなっていると思います。
ただたまに理念を唱和するだけの組織や、クレドを配って持っているだけの組織に出会うことがあります。
本当にそれで良いのかと。
読んでいるだけ、の思考停止になっていないのかと。
組織の理念に共感し、自分の人生の方向性と組織の方向性が重なっているのであれば良いのですが、無理やり組織の方向性に合わせてのせていくことをしていると、思考停止を生むだけの可能性があります。
理念がもし変わったら、どうするのか?
その理念で本当に良いのか?
その理念に本当に共感しているの?
定期的に疑い自分で確認する作業が必要だと思います。
心理的安全性が重要なのも、理念浸透が重要なのもみなさん知っていることだと思います。ただ本当にそれで良いのかと疑ってみることも重要かもしれません。他人が引くレールに乗っているだけでは、いつまでも操られる人だし、思考停止を生む要因になっているかもしれません。
思考停止しないようにするために、現状を疑うことから今年は初めていきたいと思います。全員がagreeな意見に対して、本当に良いのか考える。それがとても面白いようにも感じました。
年始一発目からぶっ込み、意味わからないことを書いてのですが、年末年始に少し考えていたことなので、書いてみました。
ただ何度も言いますが、心理的安全性と理念浸透は大事だと思っています。ただそれに乗っているだけ、満足しているだけ、では危ないということです。
以上です。今年も常に考えて考えて、意味わからないことをいうようにしようと思います。
頑張るぞ!
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