『世はすべて美しい織物』あとがき

 この物語を書こうと思ったのは、夫の転勤で群馬県高崎市に住んでいた頃でした。山間に面白い街があると耳にし、高崎から上毛線に乗って、幾度となく物語の舞台になっている桐生の町へ赴きました。当初は知らなかった。二人の主人公達のたどる運命に圧倒され、とても自分の腕では書きおおせることができない!と絶望に苛まれながら書き進めることになるとは!!

 大抵、書く時は一つの小さな着想から物語が膨らんでいって、どんどん全貌があらわになっていくのですが、今回に限っては、いくつかの着想がバラバラに、同時に、分かちがたく存在していて、書き進める時にとても苦労しました。

 きっかけの一つは、ブログというものがまだ出始めた頃、ネットサーフィン(今は死語!?)していて見つけた、数々の手芸作品達でした。
大抵は、「こんなの出来ちゃいました~」と照れや謙遜の混じった控えめな紹介つきでしたが、とても素人の趣味などとは片付けられないような、もはや工芸品とか芸術品、と言っていいような作品と数多く出会いました。これらは、美術館や博物館で紹介されることもなければ、売り物として並ぶこともなく、ただただ、素人の手すさびという視線で消費され、消えていってしまうのだろうなと思うと、何とかしなくてはいけない、と妙な使命感が湧いてきました。
 また、私の母方のおばは、物語の主人公のうちの一人、芳乃と同じく先天性の症状を持っており、そのせいで何かと苦労をした人だったようです。幼な心におばに差す影のようなものをいつも感じていて、物語の中ではどうにかその影を払うことができないかと願っていました。彼女はまた、オートクチュールの縫い子をしていました。
 さらに、これまで書いていた小さなドラマの連続という枠を超えて、登場人物達の人生をもっと深く追いかけていきたい、という気持ちも湧き出していたタイミングでした。色々と設定を考える段階で、「家族の口から語られる親戚の話、生涯に隠されていたドラマというものは、なぜ聞いていてこんなに面白いのだろう。これらは、身内ではない、まったく無関係の他人が聞いても面白いものなのだろうか。それともつまらないのだろうか。だとしたら、読者を、たとえば従兄やおじいちゃんに起きた出来事を聞く私、のような気持ちにさせられれば、きっと面白がってもらえるのではないだろうか」など、とりとめもなく考えていました。
 これらの着想が、繭の中でどろりと溶解し、混じり合い、ようよう一つの物語の形をとったのが『世はすべて美しい織物』です。

 物語は、昭和初期パートと平成パートで語られ、それぞれ芳乃、詩織という主人公が存在します。どちらの主人公も、日々の営みに息苦しさを覚えています。芳乃は、時代の織り姫とも呼ぶべき織物の才能を持った女性でしたが、嫁ぎ先では主婦の手すさびという扱いを受け、そのただならぬ作品達は世に認められることなく埋もれています。一方の詩織は、注意欠陥という症状を抱え、日常生活をふつうの人と同じようにきちんと送ることに困難を抱えていました。一見、何のつながりもない二人ですが、やがて二人の人生は縦糸と横糸のように運命の模様を描き出していくことになるのです。

 デビューしてから10年。冒頭でも軽く触れましたが、今回は、デビュー時と同じくらい書くのが難しく、直しあぐね、筆が止まりました。デビュー作では受賞後、担当さんから「私って本当に日本人なの?」と不安になるほど赤字が入り、鋭い指摘に「うぐぐ」と声が詰まることが数え切れないほどありました。以来、このままの自分ではいけない、もっと上手くならなければ読者にも楽しんでもらえない、と、デビュー時の自分から遠ざかるように、遠ざかるようにと書いてきました。同じように苦労した本作ですが、書き上がってみれば、自らが否定していたデビューの頃の作品の空気感に、これまでのどの作品よりも似ている仕上がりになっていました。担当のお二人の手を借り、煮詰めて、削って、テーマの純度を高めたからこそ、こういうことが起きたのかなと思っています。もちろん、とてもポジティブな意味ですし、デビュー時しか持ち得ないようなあのフレッシュな揺らぎを今作でも味わえたのは、小説家としてとても幸福なことではないかと思っています。
お二人には貴重なアドバイスをいただいたこと、最後まで併走いただいたことにこの場を借りて深く、深く、感謝いたします。

 さて、物語のことに戻ります。どちらかというと芳乃の生きた昭和初期は、戦争という大きな時代のうねりもあって、ストレートにドラマの予感を感じられると思います。しかし、平和な現在の日本に暮らす詩織の人生も、ともに呼吸し、寄り添ってみると、ドラマの彩りに溢れ、この子はそんなことになるのか、と驚かされることでしょう――驚かされるといいな。
 
 人生は、時間という縦糸と、その時々の自分という横糸で織りなす美しい織物であると思います。少し視座を変えれば、私達ひとりひとりが、この世界を織りなす糸でもあり、ドラマの一片ではないでしょうか。
 一見、暗く深い闇に閉ざされたように思えても、目をこらせば悲しみや苦しみだけが持つ尊さがあり、世界はいつも変わらぬ美しさで私達を取り巻いていることに気づかされます。
 このような世界情勢で、世はすべて美しい~と言い切ってよいのかどうか迷いながらも、どの地にも、どのような状況下においても、誰しもの胸に輝く一瞬が在るようにという半ば祈りも込めて、このようなタイトルをつけました。
 
 あなたが、今日も美しい模様を織りなしますように。

 成田名璃子 『世はすべて美しい織物』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

                    令和4年11月吉日 成田 名璃子

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