気持ちの容量

お久しぶりです、nariです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私は相変わらず研究室に通い詰めています。

今日も私が最近感じたことを書き連ねていきます。

まず、題にもありますが、気持ちには容量があるのではないかと、最近考え始めました。

よく「忙しくてキャパオーバーだ」という表現を耳にすると思います。

沢山タスクがあって、時間的、身体的に追い詰められている状況のことです。
ただ、これは気持ちの面にも当てはまると思います。
いろんな感情が溢れ出して、心の容量がどんどん埋まっていく感じです。

私は軽音系のサークルに入っているのですが、先日その定期ライブに参加する機会がありました。

他のバンドのライブを聞いていると、自分の演奏技術と比較したり、その曲の捉え方、感じ方、奏者の内面、背景など、発散した方向の内容まで考え込んでしまう癖があります。

なので、サークルライブから帰宅した後はいつも疲労困憊で、何も手につかなくなってしまいます。

心には容量があって、いろんな感情がこみあげてきて標線を超えると、だんだん苦しくなって、他のやらなければならないことに集中できなくなってしまいます。

よく、「死にたい気持ちは抑えるのではなく、飼いならす必要がある」という言葉を聞きます。

まさにその通りで、以下にうまく自分の感情と共存していくか、が大事なのだと思います。

他にも、最近自分の恋愛事情に関しても、よくわからなくなりました。

恋人がいる環境になったら、もっと追い込まれずに、生活できるような感じがなんとなくしています。

ただ、恋人ができるまでの、その過程があまりにも険しく感じます。

仲良くなるまでのSNSのやり取りや、見た目の気遣い、これからの進路や今の環境など、考えるべきことが私には多すぎます。

単純に、気になる人にアピールして、実らせるという営みの範疇にはなくて、より難解なとても難しいことであるように感じます。

他人の恋愛のだしに使われるのは、もう疲れました。

今研究室でこの記事を書いているのですが、人が来た気配を感じたので、今日は此処までにしたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

nari


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