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「でも」の後で

 でも、やっぱりあのブーツを買おうかなぁ…。こんなひとり問答をしばしばする。これは「でも」を鎹にしてその前と後とが明確に対比されている。(このことについては少女熟成中...1|ナリカワコウト (note.com)でも言及していますが)。いわゆる「逆接」のディスコースマーカーと呼ばれるヤツだが、ご存知の通り逆接の後に来る方が大事というパターンがほとんどだと思う。「アイツは良いやつだ。でも金勘定にウルサいんだよな。」「アイツは金勘定にウルサいんだよ。でも、良いやつだ。」ではまったく感じ方が異なっていることを押さえれば即座に分かることである。

 しかし、これに尽きないでものあり方があるのかもしれないと、ふと考えた。具体的には、「でも」の後ではなくに重心のおかれる用法があるのではなかろうか、と。

具体例と用法

 あいつはきっと思いやりなんて持ってないだろうし、関わってもきっとあなたが気疲れするだけだよ。でも、私が思ってるだけだから気にしないで良いかもね。

 これは創作例だが、上記の含意が伝わるだろうか。誰かのことを痛罵している。しかし、「でも」とすることで予期される反論を制し、ついでに自分の意見であることを強調して完全に防護する。
 しばしば言及される関西弁の「知らんけど」や、通販番組で用いられる「※個人の感想です」のような表現とも符合するが、言い訳がましく自己擁護をする表現と、ほぼ同じ構図を保っている(実際には「知らんけど」はただの責任逃れの表現ではないが)。

 ここで、でもの用法を概観しておく。日野(2003: 79)は唐津(1995: 122)の分類をふまえて「しかし」「でも」において(a) 相手と逆のことを主張する、(b) トピックシフト、(c) (前の文脈を飛び越えて)感動的に振り返るという3用法を示している。この区分だと今回のでもは(a)に該当するのが自然だが、それにしてもしっくりこない。
 あるいは、逆接表現の置かれる位置に注目する研究もある。加藤(2001: 58)は前文と文字通りの接続の役目を果たすもののほかに語調を整えたり新しい話を切り出したりする際に用いられるものもあるのだとしている。それこそ上の(c) (前の文脈を飛び越えて)感動的に振り返るの用法にも通じるが、「しっかし、あの歌はすんばらしかったなぁ」のようなものである。この場合前の文章があると寧ろ変なイメージを与えることもあるのだ。
 この観点からさきほどのでもを見てみる。「でも、私が思ってるだけだから気にしないで良いかもね。」という単文が意味を成すかというと、それはおかしい。前文とのつながりの中で「でも、」がはじめて効果を持つ。しかしこれは構造的な探求であり、あくまでも用法には妥当な解釈を与えていない。

まとめ

 結局、いろいろ漁ってみたがこれに該当する文献は見つからなかった。が、なんだかんだしかし・だがの用法を確認し、そこに納まりきらない(かもしれない)使用例を確認できたのでそれで良いのではないか。どうせ専門でも研究範囲でもないのだし。

 ただし、当初こうした文章を残すことにしたきっかけを考えると(→フィールドへの道|ナリカワコウト (note.com))、あまり上手くいっていない事実に直面せざるをえない。はて、どうしたものか。私が日記的な文章を書けない理由のひとつが、昨日友人と話しているときに判然としてきたので、それもいずれ残そうと思う。

引用文献

加藤重広 2001「照応現象としての逆接」『人文学部紀要(34)』富山大学人文学部編: 47-78.
唐津, M. 1995'A functional analysis of Dewa, Dakara, and Shikashi in Conversation.' "Japannese Discourse vol.1" pp.107-130.
日野資成 2003「「しかし」と「でも」の談話分析」『福岡女学院大学紀要(13)』人文学部編: 75-91.

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